美な角度で、女主人のこころもちが裸婦に通っていた。その置かれかたで、女主人の背後にある裸婦の無邪気なゆたかさが、芸術としてすらりと鑑賞されるのだった。
 村山知義さんの自筆の插画をみていて、わたしは、このマイヨールの「とげ」の飾られていた工合を思い浮べた。「結婚」のさし絵は男が描いたものだという点にこだわって考えないにしろ、一般に、いまの人間感覚のうちに、文化の感覚のうちにこういうパンティーなど登場させたらそれを前から描くという風な流行がありすぎると思う。そういう荒っぽい、むき出しな動物的な傾向が、ジャーナリズムの上に濁流をなしている。文学作品にも、同じ傾向がある。それが反封建といわれている。しかし、性の問題を、性に局限して理解して、だから人前に出せないとしたのが封建思想であった。きょう、性の興味や問題を、文学においても絵でも人間問題の一つのくさりとして扱わないで、性に集中して露出させて扱っているのは、とりも直さずに日本人の人間的感覚のなかに、どんなにまだ封建的な性を性だけに表現するみじめさがつよくのこっているかという証拠である。
 この間「美女と野獣」をみて、接ぷんを人間の心のあらわれとして芸術的に、深い余韻をもって扱っているのに注意をひかれた。より合う心の近さにつれて二つの唇が触れ合おうとしてしかし触れず、互の眼をながめ合ってその瞬間のすぎる風情には、観ていて背筋のひきしまるような美感があふれた。そしてそれは愛の感覚に直接迫るものだった。私たちの新しい芸術で性感は美術の一種として高く人間的に解放されてゆく必要がある。
[#地付き]〔一九四八年四月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「文学新聞」新日本文学会
   1948(昭和23)年4月15日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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