発熱についてはそういう本質の差を知っており、又当然知ろうとするであろうのに、芸術家の死命を制する人間的叡智の根源において、歴史の相貌の質的相異の知覚を失っているばかりか、それを自ら恐怖しもしないというのは、何という憤ろしい一つの喜劇であるだろう。
ジイドは、ソヴェトに対して抱いていた自分の信頼、称讚、喜悦をかくも深刻に痛ましく幻滅の悲哀に陥れ、労働者を欺いている者はソヴェトの一部の特権者と無能な国内・国外の阿諛者達であるとしている。「勝負はスターリンにしてやられ」民衆は悉くスターリンの犠牲者であると声を振りしぼって叫んでいる。その事実の裏づけとしてソヴェト生産並施設の不充分な点について討論しているプラウダやイズヴェスチアの統計が夥しく引用されているのである。
もとよりこれらの統計は拵えものではないに違いない。本ものであればあるほど、その統計を読む人々の心には次の疑問が湧いて来ないであろうか。一体なぜ、ジイドによって食人鬼のように描かれている官僚どもは世界の眼前にこうやって平然と否堂々と自分たちにとって不利益な材料である筈の生産力の弱点や、計画の実践力における弱さ等をあけひろげてみせているのであろうか、と。
それは改善されなければならないからである、とジイド自身が説明している。「一度可決採用された計画の実行の問題に関しこの自己批判となると、大入満員の観がある」と。何故に、誰のために改善されなければならず、計画の実行の問題が重要なのであろうか。
ジイドによれば、人工的に過度に生産その他を強化する必要からである。その必要が現実にあるとして、それならその必要はどこから生じているのであろうか。ジイドは、信じられぬ程の偏執で、その必要は、スターリンの犠牲であり、欺かれたもの達である労働者の上に死刑執行人と、搾取者とが君臨して「ロシアの労働者は幸福であると、フランスの労働者に信ぜしめる為の莫大な宣伝費をつか」うためであると云っているのである。
これは今日の国際情勢にあって寧ろ余り素朴なデマゴキーであると云わなければならない。果してそういうのが現実であるならば、確にジイドが云っているとおり、そのようなことは余り知りたくもないし、知らせたくもなかろう。従って、ジイドが利用しようと努めているような統計や自己批判の公開もしないわけである。ところがそれがなされている。ジイド自
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング