は荘厳な幅広い焔のようだ。重々しい、秒のすぐるのさえ感じられるような日盛りの熱と光との横溢の下で、樹々の緑葉の豊富な燦きかたと云ったら! どんな純粋な油絵具も、その緑玉色、金色は真似られない、実に燃ゆる自然だ。うっとり見ていると肉体がいつの間にか消え失せ、自分まで燃え耀きの一閃きとなったように感じる。甘美な忘我が生じる。
やがて我に還ると、私は、執拗にとう見、こう見、素晴らしい午後の風景を眺めなおしながら、一体どんな言葉でこの端厳さ、雄大な炎熱の美が表現されるだろうかと思い惑う。惑えば惑うほど、心は歓喜で一杯になる。
――もう一つ、ここの特徴である虫のことを書いて、この手紙のような独言はやめよう。この家は、茅屋根であるゆえと、何かほかの原因でひどく昆虫が沢山いる。朝夕とも棲みしていると、ひとりでに、アンリ・ファブルの千分の一くらいの興味をそれ等の小さい生物に対して持つようになった。例えば、こうやって書いている今、すぐ前の障子に止って凝っと動かない蜘蛛、味噌豆ほどの大きさの胴も、節で高く突張った四対の肢も、皆あまり古びない鯣のような色をしているのが、私に追っかけられると、どんなに速くかけて逃げるか、また逃げてかなわないと知ると、どんなに狡くころりと丸まって死んだ振りをするか、ややしばらくそれで様子を窺い、人間ならばそっと薄目でも開いて見るように――いや本当に魔性的な蜘蛛はそのくらいなことはやるかもしれない――折を狙って一散走りに遁走するか。一々を実際の目で見ると、生物に与えられた狡智が、可笑しく小癪で愛らしい。いじめる気ではなく、怪我をさせない程度にからかうのは、やはり楽しさの一つだ。
ついこの間の晩、縁側のところで、私は妙な一匹の這う虫を見つけた、一寸五分ばかりの長さで、細い節だらけの体で、総体茶色だ。尻尾の部分になる最後の一節だけ、艷のある甲羅のようなもので覆われている。一寸見ると、そして、這ってゆく方角を念頭に置かないと、その実は尻尾である茶色甲冑の方が頭と感違いされるのだ。私は、近ごろ熾になりたての熱心さでいい加減雑誌の上を這い廻らせてから、楊子の先でちょいと、胴のところに触って見た。するとまあ虫奴の驚きようといったら! 彼――彼女――は突つかれたはずみに、ぴんとどこかで音をさせ一二分体全体で飛び上って落ちると、気違いのように右や左に転げ廻った。どうすることかと見ていると散々ころげて私の見当をうまく狂わしてやったとでも思ったのだろう、今度は茶色甲冑を先にして、偉い勢いで逆行し始めたではないか。而も、すっかり逆行しきるのではない。行ってはかえり、行ってはかえり、茶色甲冑が嘘の頭だと観破している私でさえ、そう両方に、自信をもって動かれると、どちらが本当の頭だか、いやに眼がちらつくようになって来る。虫はちゃんとそれを心得、必死の勢いで丹念に早業を繰返すのだ――私は終に失笑した。そして、その滑稽で熱烈な虫を団扇にのせ、庭先の蚊帳つり草の央にすててやった。
「ずるや! だました気だな!」
きのうきょうは秋口らしい豪雨が降りつづいた。廊下の端に、降りこめられた蜘蛛が、巣もはらずにひっそりしている。その蜘蛛は藁しべに引かかったテントウ虫のように、胴ばかり赤と黒との縞模様だ。
[#地付き]〔一九二五年十月〕
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「週刊朝日」
1925(大正14)年10月1日秋季特別号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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