い気持になって家に帰った。そしてたたみの上にコロリと横になってニッコリといかにも嬉しそうに笑って眠に入った。
 翌朝になっても男は笑ったまんまねて居たけれ共もうあったか味もない口もきかない小ばなの妙にそげたひやっこい肉のかたまりになって居た。「あの人が一番さきに私を美くしくするこやしになったんだ!」女はこう云っただけだった。
 それからあとも男は幾人も幾人も格子を開けては特別に作られた女のそばによって居た。
 男達の心を取り血をしぼって女は若やかにますますその肌は白く髪は黒く目はかがやいて来た。特別に作られた女を美くしくな[#「な」に「(ママ)」の注記]るために純な心を持った男は笑いながら幾人も幾人も死んで行った。男が一人死ぬ毎に女の美は一段進んで男の命と云う貴いものでつくりあげられた美くしさは銀の光りで月をつなぎ合わせた様なかがやかしさと気のボーッとなるほどのかぐわしい香りをもって居た。
 美くしくなりながら女は年をとって行った。
 長い間数知れないほどの男を気ままにもちあつかって居たけれども女はまだ処女であった、処女で居られる力を特別に作られた女はもって居た。
 うす暗いローソクの下で地獄の絵にせなかを向けて或る晩女は自分の体のすっかりうつる鏡に立って居た。頬は丸い唇も赤くて髪も黒いけれども女は目のまわりにあるうす黒いかげと頬にたった一つ茶色のシミの出来たのを見つけた。
「私の美くしさの下り坂になったしるしだ」
 すぐ女は斯う思った。もう今から四五年あとには自分もあたり前の女がする様な事をしなくっちゃあなるまいと思った。
 自分で特別に作られた女だと信じて居る御龍はあたり前の女のする事をしなければならないと云う事は死ぬよりもいやな事だった。
 も一度鏡の面をジッと見つめた。黒いかげ茶色のしみはたしかにあった。
 自分のためにぎせいになった男を見る時にもらす様な落ついたつめたい笑を歯の間からもらした。スルスルと帯をとき着衣をぬぎお女郎ぐもの一っぱいに手をひろげた長襦袢一枚になった。鏡を台からはずして畳に置いた。女は笑いながらその上に座った。座った足、手、頭はみんな下のかがみにそのまんまうつって居る。かがみにうつる自分の目を女は見つめて物狂おしい高笑いをした。そして右の手をツとふところに入れてまっしろなやわらかい胸の中ににぎって居たお女郎ぐもをはなした。
 女は目をパッとひらいてまっさおな笑をもらして鏡の中の自分を見つめた。胸の中の御女郎ぐもはクルクルクルとすばしっこく這い廻った。胸の御女郎ぐもがジッとしたかと思うと特別に作られた女の体は笑ったまんま見つめたまんまコトリと音をたてて鏡の上にのめった。笑ったまんま女は鏡の中の自分の瞳を見つめて居る。ローソクはケラケラケラと笑いながら黄色な焔をあげて居る。
 お女郎グモはソロソロと胸から首をつたわって女の目に上った。そしてパッと見ひらいたまつげとまつげとの間に銀の様な糸をはり始めた。キラキラとひかるこまかいあみの中から瑪瑙の様な目は鏡の中のあみの中にある目と見合わせて口辺にはまっさおの笑をたたえて居る。特別に作られた女の不思議な姿を朝の光はいっぱいにさして居た。
 目の辺に黒いかげはなく頬に茶色のしみもない特別に作られた女はローソクのたわむれを知る事は出来なかった。



底本:「宮本百合子全集 第二十八巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年11月25日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第6刷発行
※底本では会話文の多くが1字下げで組まれていますが、注記は省略しました。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2009年10月14日作成
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