三
読者は敏感であるから、そういう文学の場内で接触する作家たちに対して、確にある親しさは抱いているであろうが、それと同時に誰それは、とその作家の名を佐分利信を呼ぶと全く同じ調子で呼んで、ちょいとマスクがいいでしょう、という風の態度をもっている。或る種の作家、そして、人気作家と云われる作家のぐるりにはこういう雰囲気がある。そんなことに疳をたてたりしないで或る程度の社交性と彼等の幻想をこわさない程度の強面とを交互に示しつつ処してゆくのが、作者暮しの両刀の如き観がある。
作家の経済生活は、一般に益々逼迫して来つつあるし、これから先まだまだそれが切りつまって来ることは明瞭であろう。今日新聞小説を書いてそれからの収入にしたがって生活をひろげている作家たちは、それを切りちぢめることに当然さを感じるより、やはり習慣からそのようにちぢめた生活には寂しさ、落寞たるものを感じ勝ちだろう。そのためにも、新聞小説の牽く力は、一度それに皮膚を馴らされた作家にとって、決して侮りがたいものをもっているであろうと思える。
文学の問題としてみるとき、新聞小説の通俗性の側から云々されるよりも、寧ろ、作家の本来的な内面生活からいかに思想、判断の慾望が衰頽して来ているかということが私たちの深い自省を促す点であると思う。[#地付き]〔一九三九年十一月〕
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「日本学芸新聞」
1939(昭和14)年11月10日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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