用ですからお帰りに教員室に来て下さいと云って、丸い、禿げた頭を振りながら出て行きました。
「何の御用なのかしらん」
 芳子さんは、お包を抱えながら、思わず独言を云いました。何でお呼びになるのか、一向見当がつきません。けれども、何も悪い事をした覚えのない芳子さんは、ちっとも不思議にも、厭にも思いませんでした。
 芳子さんはお包みが出来ると、政子さんに、「お先にお帰りなさい」と云って教員室へ入って行きました。
 机に向って、何か読本を読んでいらっしゃった先生は、芳子さんが入って来るのを御覧に成ると、椅子からお立ちに成って
「あちらへ行きましょう」
と、傍の扉をお開けになりました。
 其処は、ふだん使わない部屋で、参観人が、ちょっと休んだり、先生方の小さいお集りの時などに用《つか》う処なのです。
 人のいない処に連れて行らっしゃったのは、勿論、多勢の人々には聞いて欲しく無いお話をなさる為でしょう。
 芳子さんを、一つの椅子にお掛けさせになると、先生は少し更《あらた》まった口調で仰有いました。
「三田さん、政子さんは貴方と一緒のお家にいらっしゃったのですね」
「そうでございます」
 芳子さんと政子さんは、同じ一族の人々ですから、二人とも苗字は、同じで三田といいました。
「貴女とは従姉妹同志ですね。政子さんの御両親はいつ頃お亡くなりになりました?」
「私は、余り小さい時分でございますから、ちっとも覚えては居りません。けれども、きっと政子さんが三つか四つ頃の時でございましょう。」
「お可哀そうな方ですね、貴方は御両親がお揃で可愛がって下さるのだから、そう云う不仕合せな方には、出来る丈親切に、助けて上げなければいけませんね。」
 それから先生は、人と云うものが、決して学校で好い点を取る丈が立派なのではないと云う事、利口だと云って褒められて、他人の不仕合わせなのを思い遣らずに威張るようでは、真個に恥しいのだという事をお話になりました。そして、終いに
「貴女は、よくお出来になり、何でもよく物が分ってお出でなのですから、決して政子さんが辛いような事はなさらないでしょうね。」
と仰有った時、芳子さんは思わず先生のお顔を見た程思いがけない心持がしました。
 あの気の毒な政子さんを苛める! 若しそんな人が在ったら、芳子さんは真先に、其の人を咎めるでしょう。
 芳子さんは、はっきりと、
「決して致しません」
と云いました。
「そうでしょう。なさらないでしょう。けれどもよくお気をおつけなさい」
 これだけのお話で其時はすんでしまいました。
 けれども、それから後、芳子さんには訳の分らない事が沢山起りました。
 時々、友子さんは、何か折があると、妙な当こすりのような事を云って見たり、一緒に遊んでいた政子さんをいきなり、
「貴女此方へいらっしゃいね、私共と遊びましょうよ」
と云いながら、別な方へ連れて行ったりさえしました。
 政子さんは、そんな時後から独りで考えると、真個にお気の毒な事をしてしまった、芳子さんはさぞ淋しかったであろうと思うのですけれども、皆がそうして呉れる時にきっぱりと、
「皆一緒に遊びましょう、芳子さんも一緒に」
と云う丈の勇気は、政子さんにありませんでした。
 学校でさえそう云わなかったのですから、家へ帰ればなおそんな事を云い出す時が見付かりません。友子さんや、友子さんのお仲よしの人々が多勢で来ると、政子さんは自分の思う通りには何一つ出来ない心持に成ってしまうのです。
 政子さんが思った通り、芳子さんは勿論淋しゅうございました。只一緒にいる政子さんを連れて行かれると云う丈なら、きっとそんなではありませんでしたろう。けれども、自分は出来る丈の親切と、よいと思う事をしてあげているのに、若しかすると政子さんは、自分の志を間違えて考えているのかもしれないと云うことが、芳子さんの心を苦しめます。
 芳子さんは、お饒舌《しゃべり》ではありませんでしたから、お友達の誰にもそんな事は話しませんでした。が、真個に芳子さんは時に情無くなりました。勿論お母様に御話しすれば、直ぐすべては、はっきり解るようになるでしょう。けれども、先に申した通り政子さんは、芳子さんの御両親のお世話に成っている人です。それですから、若し何か政子さんが思い違いしていた事が分ってひどくお小言でも戴くと、只さえ自分が孤児なのを悲しんでいる政子さんは、どんなに居辛く思うか知れません。芳子さんは、それを考えてお母様にさえ黙っていました。
 もう今から二十幾年か昔の女学校などは、近頃育った私共には、考える事も出来ない程、種々不完全な処があったものと見えます。
 お家がお金持だと云う事を、何より偉いと思った気の毒な友子さんは、自分の嬉しく思わない事を云った芳子さんをすっかり憎んで、芳子さんを苦しめようとして、政子さんを自分の云い付け通りにさせていたのです。
 私共は、じっと静に考えている時には、大抵よい事と悪い事とをはっきり区別して自分のする事を導いて行けます。けれど、多勢の人や、お友達のいる処で、正しい事でも、自分の耳に痛い事を云われると、正直に素直に其の忠言に従う事は出来なく成るものでございますね。
 我儘な友子さんは、芳子さんがじっと独りで堪えているのをよい事にして、自分が学校を廃《や》めるまで、二年の間政子さんと芳子さんの仲を悪くさせようとしていたのです。
 けれども芳子さんは、どんな辛い時でも、自分の正しいと思う親切は、仮令《たとい》政子さんが其を悦んでも悦ばないでも、行って居りました。
 親切は、ひとに褒められる為にする事でもなく、お礼を云って貰う為めにする事でもございません。
 よい事は、人の心がしずにはいられない事だからするのです。それは人間が地上に現れた時から与えられた心持の一つでございましょう。長い間の変らない親切は、いつか、真個にいつかか分りませんが、いつかきっとよい果《み》を結ぶものです。どんな力でも打壊す事は出来ません。友子さんが幾ら我を張っても、とうとうお終いに勝ったのは、芳子さんの親切、よい心掛でした。
 二年目の終業式がすんだ日、お家に帰ると政子さんは袴をはいたまま、芳子さんのお部屋に来ました。(友子さんは二年丈すると、もう学校は廃めてしまったのです。)
 そして芳子さんの前に坐ると、心から、
「芳子さん、どうぞ勘弁して頂戴」と申しました。
 学校で戴いた修業証書を見ていた芳子さんは、其の言葉と一緒に顔を上げました。
「真個に――御免なさい、芳子さん、私、今まで沢山貴女にすまない事をしてしまったわね、真個に悪かったと思うの、友子さんが……。」
「よくってよ、よくってよ政子さん、私何とも思やしないわ、只ね、貴女が、私の思っている事さえ知っていて下されば、もうそれだけでいいの」
 芳子さんには、これだけ政子さんが思っている事が、すっかり手に取るように分りました。
「私共は矢張り仲よしなのよ政子さん」
 二人は知らないうちに、眼一杯に涙をためながら、楽しく仕合せな心に成って微笑み合いました。
 まあ、真個にお互によく解り合って、よいところを信じ合った時ほど、人の心が晴々と空のように成ることはありませんでしょう。
 政子さんと芳子さんとは、その小さい子供だった時の通りの心持になって遊びました。
 暖い卵色の太陽が、二つぴったりと並んだ仲のよい二人のお友達の影を、さも悦《うれ》しそうに、明るい白い障子の上に、パッと照し出しました。[#地から1字上げ]〔一九二〇年五、六月〕



底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
   1986(昭和61)年3月20日初版発行
初出:「女学生」
   1920(大正9)年5月創刊号、6月号
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2007年8月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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