る点である。
こんな小さい縮写でさえ、力量の目ざましさにうたれる宗達が、遠くに在るものが、近くにあるものより小さく見えるという日常の事実を、どうして知らないわけがあろう、彼は十分知っている。その上で、この三人ずつ二側の人物は、顔をこちらに向けている遠い三人をやや大きく、背中だけを向けている近くの三人は却ってごく小さく描き出しているのである。
宗達の芸術家としての直感が、生命の爽やかさに充ちていたことが、ここにも窺われると思う。彼は、画面の隅から隅までが豊かに息づいて滞らないことをのぞんでいる。もし背中だけ向けている三人を大きく出せば、生動する画面に計らず一つらなりのめくら壁が立つ結果になって、リズムはそこで阻まれるだろう。芸術家らしさで、其処を鋭く洞察している。そして、子供が絵をかきはじめるときは、よしんばそれが「へへののもへじ」であろうとも、まず顔に目をひかれ初めるものであるという人間の素朴本然な順序に、すらりとのりうつって、こちらに顔を向けている三人の距離を、人間の顔というよすがによって踰《こ》えている。偶然によってではなくて、はっきりした考えをもって、芸術の虚構の効果をあげて
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