気質をもって生れている伸子を一九二七年の空気のなかで、社会主義へ近づけずにいなかった。「二つの庭」で、伸子は、これまで人として女として自然発生にあった善意と理性が、人間行動にうつされた場合の形として、社会主義を見出している。しかし、「二つの庭」で、伸子は、まだそのような個人的善意の社会的行動に自分をゆだねてはいないのである。伸子は組織について無知であり、社会主義的な集団にも属していない。
「伸子」はやがて「二つの庭」からも出る。「道標」の根気づよい時期は、伸子が、新しい社会の方法とふるい社会の方法との間に、おどろくばかりのちがいを発見した時であり、伸子の欲望や感情も手きびしい嵐にふきさらされる。
はじめ、ただ一本の線の上に奏せられていたアリアのような「伸子」の物語は、こうして、「二つの庭」においては、小さなクヮルテット(四重奏)となり、やがて「道標」では、コンチェルト(協奏曲)にかわってゆく。
そして、「伸子」がそう変ってゆくことこそ現代のすべての人々の善意にとっての自然ではないだろうか。こんにちの社会で、理性ある平和を愛し、人間の尊重と発展とを願うひとは、ヒューマニティの課題とし
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング