現実だけは、はっきりと学びとった。
 ここに集められているすべての文章は、一貫して一つの意志をもっている。それは、わたしたちの貴重な、そして誰にとってもかけがえのない一生を気分や現象で、はぐらかされ、かどわかされてしまわないようにという決心である。歴史の進みゆく本質と自分の生活とをまじめに、がんこに見くらべて生きてゆく、ほこりたかい人間としての根気を失わないように、という願いがある。現象から本質を洞察する気力にみちた精神の習慣へのよびかけがある。精神と肉体とが一致し、感情は理性とともにある行為の美しさへの招集と、善は美であり得るという事実についてのいくとおりかの例証がある。
   一九四九年八月一日

   追記

 この集の編輯が終り、再校が出てしまってから、ふとわたしの気にかかることができた。それはこの集に収められている「若い女性の著書二つ」のなかでふれている野沢富美子さんのことについてである。
「煉瓦女工」が出版された当時、商業出版の上で若い作者が不安定な利用にさらされていた当時、わたしは「若い女性の著書二つ」のなかで、彼女のおかれている客観的主観的な困難にふれたのであった。その時分「煉瓦女工」の作者は、わたしの書いたその文章はおそらく読まなかったことだろう。その後野沢富美子さんは、さまざま生活の波瀾に苦しい経験を重ねた末、一九四五年(昭和二十年十二月)共産党に入党した。それから結婚した。党員小池富美子として発表された「女子共産党員の手記」は、まだ多分に、この作者が幼時の環境からしみこまされていたアナーキスティックな爆発があった。しかし、少女時代の労働のために健康を失ったこの作者が、妻、母として、党員として東北の小さい町に負担の多い生活とたたかいながら一つ一つ作品を重ねて来ているうちに、次第に爆発的な悲憤と反抗とが、階級的な作家としてのリアリスティックな能力に高められつつある。
 アグネス・スメドレーはアメリカの下層生活から育って来た革命的ジャーナリストである。彼女の「女一人大地をゆく」に溢れているつよい生活力は、彼女の政治的な成長とともに、そのアナーキスティックな要素を力づよく人民の発展的な歴史性に統一させた。今後の小池富美子の成長の道については、階級的婦人、人民的な作家として注目すべきものがある。アナーキスト出身で著名な婦人作家で、その才能の素質と妻としておかれている偽瞞的な環境のためにアナーキズムから社会観を本質的に高められることができず、労働者弾圧にも動員される右翼の暴力団の生活に近接する機会をもつようになって、その描きてとしてあらわれているひともある。そして本質においては反人民的な勢力のスポークス・ウーマンとなりつつあるとき、小池富美子の自然発生の生のたたかいが、岩をめぐり、草の根にしみて、より高い人民的なものに成長しはじめていることは、意義ぶかい現実である。
 民主主義革命の道は人民の歴史の実質の高まりである。そして常に苦しい条件におかれつづけている働く婦人、子供、青年の人生のより意味のある社会的価値づけを強く主張している。日本の民主主義の道は、困難をきわめている。けれども小池富美子さんのように、あやうく残酷な商業主義出版の波の下に溺れ死なされそうだった一つの力づよい才能と生活力とが、おびただしい内と外との困難にからまれながらも、階級的成長と人民の運命の打開の可能の上に置きなおされたのは、やはり、人民の歴史そのものの前進によってもたらされたプラスの実例であると思う。
[#地付き]〔一九四九年十月〕



底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年5月30日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「宮本百合子選集 第十五巻」安芸書房
   1949(昭和24)年10月発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2004年2月15日作成
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