客観的観察とその報告《ルポルタージュ》しか、そこにある現実をつたえにくい。小説化すことは、危険をもっている。ソヴェト作家にとってさえ、それはしばしば大きすぎる主題としてあらわれているくらいである。
 一九四九年のこのごろ、ジャーナリズムの上では記録文学《ルポルタージュ》流行がはじまっている。国際的な題材のルポルタージュがふえているのであるが、そのどれもが、国際間の現実を正しく反映しようとしているのでないことは、誰しも気づいている。現在、最も歪められて扱われているのはソヴェト同盟に関するルポルタージュである。それは日本の内にひそんでいる戦争挑発者によってそそのかされてジャーナリズムの上に現れるばかりでなく、在パリその他の外国都市に生活する人、旅行している人々の通信が、ルポルタージュの形をとりながら大きく歪曲をふくんでいる場合が少くない。
 まじめに世界平和を希望している日本のわたしたちにとって、「フランス通信」で知られている瀧沢敬一が、世界平和のための積極的な発言者であるジョリオ・キューリー博士を政治的な嘲弄の言葉で通信にかいているのを見れば、平和を希う世界の良心に加えられた侮蔑と感じず
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