川啄木、小林多喜二など、誰一人として「抽象的な情熱」をもって語り、それを宣伝した人はなかった。これらの人々の情熱は彼らの生きた歴史のゆるすぎりぎりのところまで具体的であり、生活的である情熱であった。現在、わたしたちに必要なのは、饒舌的な抽象的な情熱ではない。
作者はまた、当時文学とよばれる分野に入りこんできたいかがわしい出版物について注意を喚起している。たとえば、ある作家によって『文芸』にもちこまれ、発表された勝野金政の「モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]」という小説[#「小説」に傍点]について。この筆者は警視庁の特高課から手記を出版されたパンフレットの執筆者で、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]から脱出[#「脱出」に傍点]してきた見聞記と称して「モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]」を発表した。また、トロツキーの「裏切られた革命」を大綜合雑誌が別冊附録としたようなジャーナリズムの気風についても見のがしていない。文学とそれらの著述の本質が全くちがうものであることを、文学者としての良心と責任とにおいて明かにしようとしている。このような事実も、今日のわたしたち
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