年と翌年の初夏まで、私はかいたものの発表が出来なかった。中野重治も同じようなことであったと思う。
「その年」という小説は、こういうひどい時期の記念の作品となった。『文芸春秋』が、一九三九年の春、もうそろそろ私も作品発表が可能らしいという見込みで、「その年」の原稿を印刷にする前に内務省の内閲に出した。やがて、内閲から戻されて来た原稿をもって『文芸春秋』の編輯者が目白に住んでいたわたしのところへ来た。そして、当惑して原稿をさし出し、何しろ赤鉛筆のスジのところはいけないって云うんですが、ということだった。原稿をあけてみて、わたしはおこるより先に呆れ、やがて笑い出した。原稿には、実によく赤鉛筆がはいっていて、それは各頁、各行だった。赤鉛筆のとぎれているところをひろって読めば、そのところは、ただ「そうしているうちに」とか「であるはずなのに」という風な箇所だった。はじめから赤鉛筆を手にもって、べたスジをひくことにして読みはじめたものであることが一目瞭然であった。赤スジのないところには、文章さえのこっていないのだから、小説として発表が出来るわけもない。「その年」のようにおだやかな作品でさえもそういう
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