の特色は、この小説で、作者自身が自分の生きかたと文学とについて、一種の公約をしている点である。作者は、それが公約であるとは知らず、ただ心いっぱいの思いで、悲しい同胞よ、わたしはいつかきっとあなたがたの、もっとよい友となる、と約束している。
 この願いとその実現のための努力とは、それからのち、三十年に亙る様々の変転、種々の困難と危機とを通じて今日までつづけられている。その間に、日本の社会は幾変転し、大衆の歴史は前進した。その歴史の歩みが、「貧しき人々の群」の作者をも成長させた。日本の文学がその発展として、文学の社会的意義の自覚と階級の観念を理解し摂取した。それが契機となって、わたしのぼんやりとしていた人道的善意は、次第に、自分をこめての民衆が発展する歴史の必然の方向を発見して行ったのであった。日本のプロレタリア文学運動が、社会と文学についてのその真実をわたしに知らせたのであった。
「日は輝けり」は一九一七年一月に発表された。大都会のゴタゴタのなかで、生活と闘いながら自分を成長させようとしている一人の青年を中心に、一つの家族を描こうとした。作者の未経験が許す限り、リアリスティックであろうとしている。けれども、今日の読者は、発見するだろう。この一生懸命で濃厚な作品に、本質的な未熟さとしてあるのは、庶民の生活感情と勤労者の生活感情とのちがいについて、作者がちっともわかっていないという点であるということを。
「一つの芽生」は、弟の死という事実に面して、その悲しみをどこまでも客観的に追究し、記録しておこうとする熱意によってかかれた短篇である。今日、よみかえしてみて興味のある点は、この短篇が、死という自然現象を克明に追跡しながら、弟をめぐる人間関係が、同じ比重で追究されていないところである。これは、なぜだったのだろう。
 生きる歓喜にむせぶような心もちの少女が、死の迫って来る力、生命の消されてゆく過程に、息をのんで凝視したこともわかるが、しかし、人間関係が二次的に扱われたことに、意味ふかい限界が示されている。十九の少女は、自分の日々がその中で営まれている環境の内部にある複雑な家族関係とその感情、弟の短い生涯を悲劇的にした家族制度の因習ということには、とりくむ実力をもっていなかったことが、この短篇に語られているのである。
「貧しき人々の群」「日は輝けり」などで、環境をとび越えられそ
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