その文学趣味のありかた本質について、作者は考えて見てよいのではないだろうか。
「秋空」 三津木静
「春龍胆」 若宮ふみ子
「何日かは春に」 大橋重男
「秋空」は、まとまっているけれども、後半で女主人公が、自分からはなれたはじめの愛人吉村の心にもどってゆく、その心の過程が、感情の推移を語るにとどまっている。こういう場合、女主人公の吉村に対する心、自省、人間の生きてゆく態度について、より深い省察があると思う。よろこびとハッピーエンドにとどまるのは残念である。
「春龍胆」柔かく抒情的にまとまっている。「何日かは春に」も、素朴だけれども、結核の治癒の可能についての、明るい善意がある。二篇とも、ストレプトマイシンが無料で闘病者のベッドに訪れて来る日を待っているのは、心をうたれる。ストレプトマイシンが療養所でつかわれる日を「何日かは春に」と待っているひとは、日本じゅうに、どれほどいるだろう。
「可哀そうな権力者」ひとつぎ・たかし
ここにかかれているまででは不十分である。権力者のきたないからくりを見すかしながら、みすかしてひとまずそれに流されている自分なのだ、という自覚から安易になっている。
「夫婦再婚」
夫の発病によって新しい愛が妻との間にめぐむいきさつは、もっとしっくりとした筆致で描かれてよい。粗暴であった夫がやさしい夫となる、その動機に、エゴイズムがあるかないか、主人公は考えてみてよい。
「終りなき調べ」 米田鉄美
多勢ひとの集る療養所に、たまたまこの作品のような偶然もあるかもしれない。作者はそのめずらしい偶然をロマンティックにまとめすぎた。[#地付き]〔一九五一年一月〕
底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
1979(昭和54)年11月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
1952(昭和27)年5月発行
初出:「健康会議」
1951(昭和26)年1月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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