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〔欄外に〕
マクシミリアン・ラマルク 1770―1832 はナポレオン帝政時代の名将軍 七月帝政時代にも反対派代議士として有名 コレラで死 葬式が暴動のキッカケとなった ジャンヌ一揆二日間。
○ルシアンの性格は英雄主義 父の曰く
「お前はアミを高くはりすぎる」p.79 共和主義なんてレッテルとポリテクニックの放校生なんていまいましい汚名を雪ごうと思った。デリケートで気のきいた、むずかしい――そう云った行動ばかりする気でいた。ところが五十四フランのがくぶちと五フランの石刷画(フリッペ)ですむんだ。
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リュシアンの日課
軍務。ナポレオン戦史講義
騎兵の操兵法(日に二時間ずつ)チェスのようにして
そういう日課が習慣となって来た、
p.91―若い少尉のあらゆる感覚が鈍って来た
○
――殆ど自分自身に対しても深いケンオを抱くようになって来た。
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この時代に共和派のゴーチエと知り合った。(所有地測量部付測量師)六週間仲よくつき合った
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