きり分らないと云う意味のことを書いた。ところが、それから幾何も経たないつい先頃、中野重治と戸坂潤の評論を反駁した文章(東朝)では、この二人の評論家が民族的自覚をもっていぬと云って攻撃している。小林氏はこの自然ならぬ飛躍に於て、日本の大衆は現実を批判しようとする意慾など必要としていないと云うのである。横光氏の知性の否定の傾向に結びついて、時代的な双生児である小林氏のこの旋回ぶりが哀れまざまざと浮立って映って来るのは何故であろう。
人類の歴史の発展において、迂遠なる大道である芸術の路上で、宙がえりやとんぼがえりをいくらしたとて、自他ともに益することは皆無である。少くとも数種の著作をもつ日本の作家や評論家が、不分明な日本語を操っていたうちはともかくそれぞれの立場から人間らしき知慧の明るさを求めていたのに、辛うじて平易な日本文を書き出したと同時に知性を喪失したとあっては、一九四〇年を目ざして、明朗な文化高揚のため砕心する諸賢においても、些《いささ》か憂慮を要する次第であろうと思われる。
[#地付き]〔一九三七年二月〕
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「文芸」
1937(昭和12)年2月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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