、さっぱりと掃ききよめて淋しいほど何もない母さんの家の座敷まで歩くのであるが、その家庭の姿の語りかたにそのカメラそのもののはにかみ[#「はにかみ」に傍点]のようなものが感じられて、様々の感想にうたれた。たとえば洋服屋さんの仕事場にカメラが入って行く。そこには子供の父さんがいる。母さんも働いている。おとなしい日本のカメラは律儀にその人々にお辞儀をして、早口にものを云って、さっさときりあげて出て来る。ああここにはこういう生活がある、とその生活の姿に芸術の心をつかまれてグルリ、グルリと執拗にカメラの眼玉を転廻させ、その対象となる人々も、さて、これが我々の生活だ、どうぞ、と腰を据えている重厚さは、まだまだああいう場面に滲み出して来ていない。
けれども、今日として、ともかくあすこまでカメラが進み出したことには見のがせない価値があるのだと思う。少くともあの保育所の人たち、子供たちその親たちは、あの経験を通じてカメラを余程自分たちの生活に近いものとして感じることに慣らされたにちがいない。
記録映画の情熱と美は、畢竟、制作者がそこにある対象そのものの客観的な表現力として自身を自覚する強さと、対象となる人々が自分たちのものとしてカメラを信頼する強さとにかかっている。
結果的には、写される人々のカメラへの全然の無頓着、冷淡さも画面としてはやはり或る面白さをもたらすだろうけれども、文化映画の本来の志望が、制作のための制作でないことを考えれば、永い将来のうちに、人々がいろんな場面で、自分たちの表現手段としてカメラを感じるように導かれ育てられてゆくことは、文化映画を制作する人々に課せられた、もう一つの任務でもあろうと思う。
「保姆」という題は、何かで厚木氏がふれておられるように、子供とその母を育てるという眼目をもうすこし広い形で示すものであった方がもっとよかったかもしれない。こういう性質の映画の明日の可能性を期待させる一つであったと思う。[#地付き]〔一九四一年十月〕
底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
1980(昭和55)年4月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
親本:「宮本百合子全集 第八巻」河出書房
1952(昭和27)年10月発行
初出:「日本映画」
1941(昭和16)年10月号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2003年2月13日作成
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