返事には、
[#天から3字下げ]逢事の限ときけばつゆの身の 君より先に消ぬべきかな
三位殿はそのかんざしを御らんになって日頃の女房の志のまことの色があらわれてその心の内の苦しさは声に出て叫ぶほど苦しく思われた。やがてその女房は院の御所をまぎれでてまだ二十三と云うのに花のたもとに引かえて墨ぞめの袖にやつれはてて東山の双林寺の近所に住んで居られた。此の女房と云うのは大原の民部入道親範の女で左衛門の督《カミ》の殿と云った御人である。
横笛
その頃いろいろ物哀な話はあったけれ共中にも小松の三位の中将維盛卿は体は八島にあっても心は都の方へ許り通って居た。そしてどうかして古郷にとどめて置いた小さい児供達も見もし顔を見せたいものだと思って居られたけれ共、丁度いいたより[#「たより」に「ついで」の注記]もないので与三兵衛重景や童の石童丸は舟の様子を知って居るからと舎人武里と三人許りつれて寿永三年三月十五日の夜のあけがた八島の館をしのびでて阿波の国の結城のうらから船にのって出てしまわれた。鳴戸の奥を渡って和歌の浦、吹上の浦や衣通姫の神様になっておあらわれになったのをまつったと云う玉津島の明神、日国前の御前の渚をこぎすぎて紀伊の湊にお着になった。ここから浦々をつたい島々を通って陸を路[#「路」に「(ママ)」の注記]って都へ行きたいとは思われたけれ共叔父の三位の中将重衡卿が一人生捕にされて京の田舎につれて行かれて生はじをさらして居らっしゃるのでさえ恥かしいのに又維盛までがつかまえられて父の名誉を汚す事もすまないからと都へ行きたいとは幾度も心が進んだけれ共考えに考えてそこから高野の御山にのぼってかねて知りあいの御僧さんを御たずねになる、この僧さんと云うのは三條の斎藤左衛門大夫茂頼の子の斎藤瀧口時頼と云ってもとは小松殿につかえて居られたけれ共十三の時本所に来た建礼門院の雑仕の横笛と云う女があった。その女を瀧口が大変に愛して通って居たと云う事が評判になったので父の茂頼が此の事を聞いて或る時瀧口をよんで云うには「私は御前一人ほか子をもって居ないから誰かよい人の縁の者にでもして出仕するついでにでもしようと思ったのにあんなくだらない横笛とか云う女になれあったとか、ほんとにお前は親不孝者の骨せう[#「せう」に「(ママ)」の注記]じゃ」なんかといろいろにいましめたので瀧口は思うに「西王
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