ワフワと浮かれて来て月の光をかくす夜半なのでまた、阿波の鳴戸のしらせで満汐引く汐が早いのでまして御着物も波と同じに白いのでさがしてもさがしても見つからなかったけれ共、しばらく立ってからようやくかつぎあげて見ると練色の二つぎぬに白い袴をきていらっしゃる。髪も袴もしお水にぬれてベトベトになってせっかく取りあげたけれ共もう甲斐がない。乳人の女房はもうつめたくなった御手にすがりついて「マア、何と云う浅間しい事を遊ばしたのでしょう。私はまだ貴女様が御乳の中に居らっしゃる時分からお育て申してこのかた今日まで片時もはなれず、都に出でになる時でさえ年を取った親をふりすててまでここへ御供申したのになぜこの様なうきめを御みせになるのでございましょう。たとえ因ねんでございましょうとももう一度丈生のある御声を、昔の御姿を今一度お見せ下さいませ。マア、ほんとうになんて云う」と云っていろいろに歎いたけれ共甲斐がなく、少しかよって居た息もたえてとうとう死んでしまわれた。こうして居てもしようがないから、故三位の君のきせながが一領のこって居たのでそれにおしまとめて又海へかえしてしまった。乳人は「私も」と一所に飛び込もうとしたのを人々にとめられて船底にたおれて歎いて居たけれども自分から髪をきって三位の弟の中納言の律師忠快に頭をそっていただいて泣きながら戒をたもって居た。男に別れた女の様をかえるのはありふれたあたり前の事だけれ共身を投げるまでした事は例の少い事である。忠臣は二君に仕ず、貞女両夫にまみえずと云ったのもこのような事を云ったのであろう。此の北の方と云うのは故藤の刑部卿教賢の御女で上西門院に宮仕えして小宰相殿と申して居た。それをまだこの頃中宮の亮《スケ》であった越前の三位通盛が此の女房を一目見て歌をよみ、文をつくして長い年月恋をなして居られたけれ共なびく様子もなかったので三位が三年目と云う時に今度をかぎりにと文を書いて年頃取りつたえて居た女房に賜って「どうぞ此を彼の君に」とたのまれたので御所へもって行くと丁度その時小宰相殿が里から参内なさる道で行きあったので御車のそばを走りすぎる様な様子をして其の文を車の内へなげ入れて行ってしまった。小宰相殿は「今此の手紙を車の内になげ込んだのはどんな人でしたか」と御たずねになったけれ共、お供をして居たものがみんな知りませんと云ったので車の内において置くのもはず
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