その完全さがまるで異う。
ドストイェフスキーの調和、完全な美は、幾色もの完全な調和である。漱石氏のは、白と金の調和だ。二者の間には二つの国民性の差が著しくあらわれて居る。
飯坂に関して
○あの新道は、明治三十七年の戦争の始まるとき[#「明治三十七年の戦争の始まるとき」に「三月頃から四月ごろまで」の注記]に着手した。その年は饑饉だったので、貧民救済事業として行われたので、県庁の保助があった。女から子供まで。
人員 二三百人 ダイナマイトのきかない岩は何?
日数 二月位。
○崖中から水がたれて居る。
○岩の間に菫の小さい葉がしげり出して居る。
○桑の尺とり虫が出始め、道ばたに青草がしげり出し、くもが這いまわる。
○手品使の広告が通る。広い桜の生わった野道を、多勢の子供にぞろぞろとあとをつかれながら、赤いトルコ帽に、あさぎの服を着た楽隊を先頭にして、足に高い棒材でつぎ足しをし、顔を白粉や何で可笑しくそめた男が、ジョーカーのような帽子をかぶって、両手をはげしく振り、腰を曲げて調子をとりとりねって行く。子供達はきそって、躰が圧しつぶされそうなのぼりのさおをかつがせてもらって行く。
楽隊はときどき気まぐれなラッパをブーッブーッと吹きならすと、白い綿雲の静かにただよって居る空の奥の方で、同じ調子のかすかな音が反響する。
◎岡村翁は、父親の年も一緒に数えて、百十八歳なのだと云って居るものがあるそうである。四十ばかりの妾が居るのだそうで、東京や京都に行って居るのだと云う。
○今日彼に会って見た。年は全く百二十一歳らしい。耳も遠くなって、まめのいったのもたべられなくなってしまったそうだ。
○黒の綿リンズの羽織に、青色のつむぎの着物を着て居る。
すっかりはげた頭の中途に五分位のはばでまっ白な髪の毛がはえて居る。写真で見たより倍も倍も活々した美くしい顔をして居る。
[#ここから1字下げ]
〔欄外に〕
彼はどう云うときに、自分は生きすぎたと感じたろうか。
一、彼が(すべて私の推量によれば)――百十二三歳のとき。or 十五六歳のとき、
[#ここで字下げ終わり]
○「おじいさん何か昔のお話をきかせて下さいとさ、
「何? 昔のおはなしかね、……ハイ昔のおはなし、桃太郎
彼は長火鉢の上にのって居たくりものの桃の菓子器か何かをさした。
○三太郎と云う猫がひろって育ててある。
○九谷の茶碗が秘蔵である。
○天井の竹竿には、下絵をつけた亀の子の絵が幾枚もかさねてかけてある。
○大きな机には赤く古ぼけた毛氈がしいてある。竹の筆づつには、ほしかたまったのや、穂の抜けたのや沢山の絵筆がささって居る。
○弘法様が信心なそうな。
○妾になる女は、丁度見世物の番人のような顔をして、爺さんをとりあつかって居る。
切角いらっしゃったのだから記念に何かお一つ御書きなすってと云う。おかかせなさってと云うことなのである。
無心で、猫の頭を撫でて居る老人に、かかせては自分で食って居るようでいやだったので、何とも云わずに居る。
◎ハッとして息をとめた瞬間、空中に一杯になって居る小っぽけな羽虫が、一どきにオミヨ、オミヨ、ワラー と大変早口にうたったように聴えた。低いふざけたような音は、そこから、どこまでと云う区切りをつけられないほど広くから起って来た。そしてワラーのおしまいが、ウーンといつまでも尾を引いて、空の真中にのこって居るように思った。
信夫山と阿武隈川
昔ジャイアントが居た。
退屈まぎれにもっこに土を一杯負うて歩き出した。が、今の信夫山のあるところまで来ると、ウンザリしてしまって、負うて居た泥をみんなあけた。ら、それが信夫山になって、そのジャイアントは、その山の頂上に腰をかけて、下をはるかにながれて居るあぶくま川で足を洗った。
○日本武の尊が、きずを洗った古湯。
○穴*の彼方に大変狐が居た。狐火。で汽車がとまった。
はだかろーそくのような形で又炬火の小さいようなものである。美くしい、ヒラヒラ、ヒラヒラともえて行く。
小林区の御役人が来るので、待って居ると、それが見える。
架空索道
(一)[#「(一)」は縦中横]索道は、今から五年前に出来た。
(二)[#「(二)」は縦中横]もいわ、の村から荷を運搬するためで、十二円五十銭ずつの株式組織である。が、今は利益は全然なく、二円五十銭、三円で、一株が売買されることになって居る。
(三)[#「(三)」は縦中横]今のところ廃する問題はないが、こんど改築のときがあやしい位費用だおれになって居る。
もいわ、の鉱山からどしどし鉱石でも出れば、又鉱山の専有にでもなれば有望でないこともない。
(四)[#「(四)」は縦中横]価格のやすいものはやすい金でとりあつかってくれる。ときどき荷が落ちることがある。会社で、その代をはらう。
(五)[#「(五)」は縦中横]何か一つどこかで荷が落ちると、その震動がどこまでも伝る。そしてあの椅子が少し弾むようになったときにあのくいついたところがはなれる。
(六)[#「(六)」は縦中横]箇人的のものをとりあつかって、とめ置きも、配達もしてくれる。ときには、もいわの田舎人が自分のかいものをのせて行ってもらうこともある。
底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
初出:同上
執筆:1917(大正6)年3〜4月
※「*」は不明字。
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2004年2月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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