(三)[#「(三)」は縦中横]

 春日山の奥の院から裏道に出ますと、大きな杉並木があります。成長しきったその老杉に対すると何となく総てを知りぬいてる古老にでも逢ったように感じられて、ツイ言葉でも懸けて見たくなるのです。
 奈良朝時代の「奈良」の人々は、きっと、周囲の自然物を深く愛して、そしてその愛着を永久に保ちたい為めに、それを絵画に現わし、文章に認めたのであろう。特に建築の模様などに、その色が深いのであった。パチコの花の如き実に巧みに取扱われていました。
 東大寺の大きな鐘楼の傍から、石段を降りますと、「大湯屋[#「大湯屋」に傍点]」という古い建築物に突き当ります。
 昔、或る特別な貴族階級に丈、使用された浴場の跡らしいものでした。そして、そこ丈が、あたりの寺院とか神社の建物と異った一種の趣きを現わしていました。
 加之《のみならず》、そこには昔ながらの建物に相応《ふさわ》しい藤棚があり、庭があり、泉水がありました。全体として、狭いながらも、それはチャンと整った一区画を示しているものでした。総てに懐しい昔の錆が現われて、石に生えてる苔までが、私をチャームするのです。此処の前には、彼岸桜が美しく咲いていました。
 其処に立っていますと、妙に感傷的《センチメンタル》になって思いは過去へ過去へと馳せて行くのでした。暫し想いを凝らせると、あの髪を角髪《みずら》に結んだ若い美しい婦人が裳裾を引きながら、目の前を通るように覚えるのでした。

          (四)[#「(四)」は縦中横]

 こうして、何処を顧みても、私達の野心《アンビション》を刺戟する何物もない「奈良」の天地は、古代芸術の香りを慕って来る者をほんとに心ゆく迄、抱擁して呉れます。
 そして、その土地の人達も、曾て憤りという気持を起した事のない程平和な、亦保守的生活を続けている。恐らく彼等の生活は奈良朝時代から、一歩も進んでいないように見受けられるのです。
 彼等は、栄誉ある背景を顧みて、ほんとに安心しきっている。たとえ少数の商人が、巧智に長《た》けた眼を窃《ひそ》かに働かして旅人の財布を軽めるにもせよ。「奈良」の人々は決して劇しい生活の準備などはしないでしょう。
「奈良」は、鹿が路傍に遊ぶ所です。そして古代芸術の永久に保存される所、人が永久に平安に暮せる所でしょう。少くとも私は之を信じたい
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