している作家たちの考えの中で「大人」というものの概念と「大衆」と呼ばれている一般人についての概念が何か違う内容で感じられていることがおのずと明らかなのである。
 一般の読者及びいわれるところの「大人」の世界で、失礼ながらたとえば林房雄氏が真面目な[#「真面目な」に傍点]文学者と見られているかどうかということは問わないとして林氏自身、自分たちのような真面目な[#「真面目な」に傍点]文学者が、その中心問題をもって一致結合しなければならないといっている「大人」というのは、官吏、軍人、実業家といっても、ただの小役人や何かではない。おびただしいそういう連中の形作る底のひろい三角形の頂点の部分、「情熱と信念」とをもって今日動いている一部の指導的な連中と、大衆を指導すべき真面目な[#「真面目な」に傍点]一部の文学者である自分たちとが結合すべしというのである。
 こういう「大人」がこの社会について考えるその考えと観察とで、作家は大衆的に書け、といわれているのであるが、この場合大衆は、そういう一群の「大人」な官吏、軍人、実業家達及び彼等と膝を交えて大人並に腹のある遊興も出来る一群の作家に指導される文化水
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