ことも一つの影響である以上――何人かの作家が国の内外にあったことを認めずにはいられまい。
 日本画家の精神のくみたてというものは、こんなに洋画の人々とはちがったものなのだろうか。
 夜中に徹夜して描くということが云われている。私たちも夜はかきにくいものだろうと思っていた。松園は案外そうでないものだ、と云っている。けれども、それから先は説明されていない。どんな範囲でかけるか、描けるために入用な準備はいろいろあろうが、それは鰻屋のたれ壺である。端倪すべからざる沈黙におかれている。
 芸術家としての内部的発展をいうならば、画期的な作の描かれた思い出が語られている。
 二十六歳に花ざかりを描いた(三十三年)画家が何故十九年の後、四十五歳で焔を(たった一枚の凄艷な絵)として(中年女の嫉妬の炎――一念がもえ上って炎のようにやけつく形相をかいた)大正七年(四十五歳)のであろうか。
 その後は、境地がなごんで「天女」をかいたといううつりは何を動機としているのだろう。

「思いつめるということが、よい方面に向えば勢い熱情となり立派な仕事をなしとげるのですが、一つあやまてば、人をのろう怨霊の化身となる――
前へ 次へ
全6ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング