からすると、この場合に云われている母性というものの解釈が何かぴったりしない所があります。山本有三氏が自身の作品を特殊な場合の引例に供せられた事につき、某新聞の文芸欄で感想を述べておられます中に今日の社会生活の情勢では、母になりたくてもなり得ない事情に置かれている女が何人いるであろうか、と云う意味の事を云って居られます。感想は未完でありますから山本氏の云われる事は結論まで明かではありませんけれども、私ども常識を持った一読者として「女の一生」をみた場合、作者は検事があの作品から引き出して来られたような形で母性を讚えたのではなくて、そのような自然な母の愛が此の世への出生をいため傷つけた私生児と云うものに対する従来の社会的偏見に反省を促されたものであったと思われます。私生児を育て抜いた所に重点があるよりは、むしろ社会的の束縛から愛する者との間の子を、私生児としての形でしか持てなかった事、更にその子を育てる上に日夜世間の古い型の考えと戦わねばならなかった事、ここに作者は人間性への広い訴えをこめていたのではなかったでしょうか。
暁子が年齢の若さや教育の不足や境遇の悪さから落ち入った罪は彼女一人の
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