た。個人だけの力では、家庭というものにつきまとっている因習的な理解さえ根柢的に破壊することは不可能なんだ。
 では、どこに、そういうわれわれの日常生活の意識をかえ、高め、颯爽たる社会的なものにする力があるか?
 唯物史観をよんだ現代われわれの棲む資本主義社会の中で自分がどういう階級に属しているかという客観的な立場がハッキリ分って来た。
 続いてソヴェト同盟へ行った。そこで、三年生活した。勝利したプロレタリアートの社会生活は、日本の一人の女に、どう生き、どう書き、働き、どう死ぬべきかということを、実践で教えた。「貧しき人々の群」という大したネウチもない作品を思い出すのは、今こそ自分は少しはホントにプロレタリア、農民の役に立つものとなったという喜びのためだ。
 今こそ、武器は一本のペンであろうとも、自分はそれをもって守るべき味方と正義と、闘うべき敵を、階級として実感しているんだ。
 悲しい兄弟よ、じゃあない。
 勇敢な闘士、兄弟姉妹よ! 今日は、なんだ。
 その小説のズッと前に、誰も知らない、ほんとの処女作というのがある。
 多分、小学校の六年生か、女学校の一年ぐらいの時だ。例によって夏休みというものがやって来た。
 母親がお嫁に来るとき持って来た小さい黒い机がうちに一つある。子供の多いやりくり最中の家庭だから、母親が自分でその机の前に坐ってる時なんかまるでない。いつも室の隅っこに放り出してある。
 真岡浴衣に兵児帯姿の自分は、こっそりその机をかかえこみ、二畳の妙な小室へ引っこんだ。ツルツルの西洋紙を、何枚も菊半截ぐらいの大さに切って木炭紙へケシの花を自分で描いて表紙とし、桃色の布でとじた。そこへ、筆で毎日何か書いて行った。
 どんな筋だったか、まるで覚えないが、何でも凄い恋愛小説だったことだけは確かだ。
 或る夜、海岸、恋している男と女とが、沖の漁火を眺めながら散歩してる。女は、白い浴衣を着、手に団扇をもって、何とか彼とか男に云ってるところまで書いたら、不意に母親がやって来て、
「百合ちゃん、お前がこれ書いたの?」
 しようがない。うん、と云ったら、母親はちょっとよんでみた。
「まあ、何だろう!」それっきり、どうしたのかそのケシの花の表紙のついたものはどっかへ消えてなくなってしまった。
 さがした。ない。隠されちゃったナ、ぼんやりそう感じながらきっと幾分恨みながらだろ
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