起ったのではないのかという点で、一致した反省を求めているのであった。
二月十七日の『都』の夕刊には、国民生活指導部長の談話に対する学生層からの様々の抗議がのせられた。娯楽の問題に合わせ、青年の問題も新しくこの事件をきっかけとして人々の意識にあらわれているのである。
喜多氏は、常に独特な物言いの人であるけれども、あのように一般の関心がその見解に集注されている場合、学生を呼んで叱りとばした、というような素朴な態度が表明されると、国民生活の指導部長という責任の大きな肩書に比べて、私たちは極めて頼りない感情をおぼえずにいられないのではなかろうか。
今日の社会の一つの様相として起ったこの事柄の本質は、決して一人の学生を叱りとばしたことで前進もしなければ解決もしまい。たまの休日は家へかえって本を読め、ということに対して、学生が反駁する心持も一般人の心として、十分肯けるものがあると思う。年中有意義無意義に繁忙で、本を読む時間も沈思する時間も持たない日常のひとたちは、全くたまの休みには家へかえって本でも読むのが最上のことである。
学生という夥しい青年たちの質は実にピンからキリまでであるから、なかには勿論下らない者もいるだろう。それはあらゆる社会の部面に下らない者のいることと同じである。けれども、学生は、と総括して、まるで平常は本をよみさえしないように云われた時、何か若い胸に湧き立つ思いを感じる青年たちの数は、下らない者よりは多いのが現実であるし、つまりはそれが学生の純真な精神の発露であると思える。[#地付き]〔一九四一年四月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:「オール女性」
1941(昭和16)年4月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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