生産経済計画《プロフィンプラン》完成への闘争をとりあげて行かなけりゃいけないんだ!」
いいところへ来合わせた。
「鎌と鎚」工場の文学研究会が、新経済年度のはじまりといっしょに、再組織されようとしているところだ。
七月の共産党大会後、ロシア・プロレタリア作家連盟は、一つの自己批判として、文学研究会指導方針を改めた。
革命以来、各工場、クラブ内の文学研究会は共産党青年《コムソモール》の中から多く有望な作家を送り出した。その点大きい役割を果しつつあるが一方、段々、所謂文学趣味に堕す傾向があった。
文学研究会へ出て来る青年たちは、むろん職場の連中だ。彼等は職場にいるときは、生産経済計画《プロフィンプラン》について熱心に討論し、職場内の反動分子と争闘しながら、いよいよ七時間の労働を終って、文学研究会の椅子へ坐ると、もう別な彼になってしまう。
所謂文学青年になって、互の書く作品だけを、互の程度の低い標準で批評し合っていい気持になっていたり、機械に向って働き、社会主義社会建設につとめる俺達を妙な作家気どりで、客観して描写したり――気分の上で文学研究会は実生活と遊離する危険にさらされていたのだ。
ところで、ソヴェトの生産拡張五箇年計画の実施は、ソヴェトのプロレタリア作家たちに何を教えたろうか?
工場見学隊を組織し、集団農場視察団を組織して、生産の場所に在る大衆の中へ進出したソヴェト・プロレタリア作家たちは発見した。本当に、唯物弁証主義的手法――プロレタリア・リアリズムを獲得するために、芸術は、どこまでも生産の場所になければならない、と。
五箇年計画による生産手段の変化がドシドシ大衆の社会的心理を変えてゆくその社会的心理を把握するために、作家は生産の場所をはなれて、活きた人間を描くことは出来ないのだ。
文学研究会の青年たちは、もう技術的に或る程度まで完成したプロレタリア作家たちの持っている、このすき間を、生産と文学との間に持たない地位にある。
折角そういう位置にありながら、専門作家が清算しようと努力している欠点から発足するというようなことがあっていいものか!
現在、ソヴェト同盟の全社会生活は、生産経済計画《プロフィンプラン》が根柢となって動いている。文学だけが、それについて無関係だなどということはあり得ない。
各文学研究会は、狭い、睡いディレッタンチズムからと
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