とがわかって来た。杉捷夫そのほか、いくたりかの人は、かりにも日本の主だった文学者があつまったファシズムに抵抗するために協力を語ろうとする席に、そのときのような空気は予期しなかったと失望を洩したのだった。
 この経験は、民主的な立場をもつ文学者でも、その思想を行動しようとするとき、便宜主義に支配されたということを教えていると思う。提供すべき責任のあるのは真の話題であった。人々を、在り来った自身のうちから出で立たせる情熱のモメントこそ、提出すべき唯一のものであったと思う。
 それならば、安直な便宜主義のために善い意図さえ流産させる行動感覚は、民主主義文学者の間にだけ残されている古さなのだろうか。もし、そうであるならば、高桑純夫が十五年前に立ちもどったきょうの日本において「怒りうる日本人」(展望十二月号)の価値を語っている文章が、読者の心に訴えるもののあるのは何故だろう。
 同じ歴史のうちに生きながら、共産主義者の負う運命は、さながら自身の良心の平安と切りはなし得るものであるかのように装う、最も陳腐な自己欺瞞と便宜主義が、日本の現代文学の精神の中にある。この天皇制の尾※[#「骨+(低−にんべん)」、第3水準1−94−21]骨のゆえに、一九四〇年ごろのファシズムに抗する人民戦線は、日本で理性を支えるいかなる支柱ともなり得なかった。
『人間』十一月号に、獅子文六、辰野隆、福田恆存の「笑いと喜劇と現代風俗と」という座談会がある。日本の人民が笑いを知っていないということについて語りあわれているのだが、その中に次のような一節がある。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
辰野 福田さんの「キティ颱風」だって、現代の馬鹿囃でしょう。(笑)
獅子 「キティ颱風」でコミュニストが笑われていることに気のつかない見物人がいるのにはビックリしてしまったです。
福田 英雄だと思って居りますよ。(笑)
獅子 そうらしい。
辰野 二十代の人は笑わないでしょう。
獅子 そうすると、こういう時代には、ああいう役の喜劇化は、もっと強くする必要があるのかなあ。
辰野 だから、曾我廼家五郎が必要なのだ。(笑)どうも軽いアイロニィは解りませんね。ここで笑えと云ってやるサクラが必要なのだ。(中略)民衆というものはそういうことを云ってやらないとね、反対に解釈されてはちょっと困るからね。(笑)
[#ここで字下げ終わり]
 これら三人の、フランス文学者、同じ系統の作家の右のような座談が、フランス語に訳されるとしたら、この人たちは果して同じように現代をからかう口調で語っただろうか。二十代の人は笑わない。そう云われているところに、きょうの日本の深淵がある。一九五〇年の十月、日本全国で二十代の男女労働者の大量が、「政治的思想的立場を理由にして、つまり国の憲法と労働関係法規とに違反して首切られました」(中野重治「茅盾さんへ」、展望十月号)、二十代の全国の学生は、同じく「政治的思想的立場を理由にして」追放されようとしている教授を擁護して、日本の理性のためにたたかっていた。そして二十数名の文学者は、日本の思想と言論の自由のためにアッピールした。数十年間大学の仏文科教授であった辰野博士がその人たちの笑いをくすぐるためには曾我廼家五郎が必要だと云っている、その日本の二十代の生活と文学の現実は、このようなものである。きょうの馬鹿囃に唱和しない二十代であるからと云って、彼らの目、彼らの笑いをもたないと何人が云えるだろう。日本の文学精神が変らずにはすまない素地は歴史のこの辺のところに在るかもしれないのだ。
 こんにちの空虚であって、しかもジャーナリズムの上での存在意欲ばかりはげしい文学現象を、現代人の「楽しみというものは、だんだん贅沢になるから、小説だって、もっと贅沢になればいいんでしょう。それだけのことでしょう」(群像十一月号「創作合評会」中村光夫)と総括して、その上での批評が果して現代文学の貧困を救う何事かであり得るだろうか。「そうじゃない」と同席の本多秋五が反駁して発言している。「人間というものは[#「人間というものは」に傍点]、だんだん部分品になってゆくものだから[#「だんだん部分品になってゆくものだから」に傍点]、部分品が全部噛み合わさった状態における人間というようなことを考えるのは大へんな難事業ですから、部分品としての消閑慰安の具となれば、それだけで社会的使命を果すという考えかたが非常にあるんじゃないか。」(傍点筆者)人類というものが、自然現象として、だんだん部分品になってゆくもの[#「だんだん部分品になってゆくもの」に傍点]、なのでは決してない。資本と生産手段を独占する者が地球の東西にわたって世界数億の人民の生存を支配する現代の社会機構が、人間を非人間的な部分品と化しつつある。フ
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