神は、東洋にとって貴重なだけではない。アメリカの常識の良識と誇りあるべき民主主義にとって、今日ほど貴重である時期はない。なぜなら現代のアジアは何かの権勢によって単に処理されるべきところとして存在しているのではないのだから。
ジョン・ハーシーが、天津に育っている外国人の少年として子供時代から周囲の生活を観察し、それを、あるままに理解しようとして来た心の習慣は「ヒロシマ」の成功の可能をもたらしている。「ヒロシマ」にたたえられているヒューマニティは人間の不幸、悲惨がどういう程度のものであり得るかということを深く理解している一人の男が、その目にあった人々によって語られる物語をきき、そこにあった状況としてこの真実性とそのような状況にぶちこまれて生きるために闘った人間の真実――ヒューマニティを尊重して正直にそれを整理し記録しているところから生れている。その過程でハーシーは、日本人の習慣的な感情、天皇というものに対して植えつけられている錯覚的な信頼の表現などさえも、切りすてていない。(頁一〇四―一〇五)
新しい文学を語るとき、作者のヒューマニティーがどのような角度で題材そのものの人間性に結合してゆくかという点――結晶点が、注意ぶかく社会的にとりあげられていいと思う。
第二次大戦中、アメリカの前線報道員として命をおとしたアニー・パイルのほんとに民衆の友としての働きかたは、これも現代のヒューマニティーの花であった。アニー・パイルも、こんにちの階級社会の紛乱とそのわれ目におちこむ多数の人々の不幸、不幸になってはじめてその人にとってその不幸の性質が理解されるような不幸について、深い理解と同情をもつすぐれた人々の一人であった。そして、一握りの人間が、決して自分の靴の底皮をぬらすことなくともかく生きていなければならない人々の大群を不幸に追いこんでいる現代の戦争というものの本質について深く知っていた。
ハーシーの「アダノの鐘」にもこの感情が主調をなしている。ジョン・ハーシーという人にあらわれているアメリカのプラグマティズムのプラスの面が、この作品に人間らしい生命をふきこんだ。天津に生れ育ったアメリカ人のハーシーが「アダノの鐘」の主人公としてイタリー系のジョボロ少佐をアダノの市に見出していることには意味がある。ハーシーにとって、アメリカが国際的国家であることをよろこび得る理由は「ジョボロ
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