気に対して、そういう手紙の編纂掲載は時日からいって、まだ時機が早いというのならば、それは当っていると思う。けれども「思想性」がないから、という片づけかたには、それを掲載するしないにかかわらず、文化発展のための蓄積・文化進歩の一々の過程についての綿密な評価の欠如が感じられる。
 第一次欧州大戦後、敗戦したドイツではフライブルグ大学教授ヴィットコップによって「戦没学生の手紙」が蒐録され、岩波新書の一冊として翻訳が刊行されていた。真摯な若い心に、戦争の理不尽と幻滅とは、どのように映ったか、しかも猶これらの若者達が、名状すべからざる困難な日々の中に、自分達の経験をかみしめ、それを記録して行った姿は、深く心をうつものがある。
 日本で、戦争中、どれだけ沢山の有能な若者が死んで行ったろう。彼等はどのように自分の置かれた立場を理解し、省察し、批判したであろうか。
 日本の当局は、若い精神とその洞察力とを極度に恐れた。通信はやかましく検閲され、帰還するとき日記をつけていたものはとり上げられて焼かれた。今日、わたし共は、愛する若者たちの命によって書かれた只一冊の「戦没学生の手紙」さえも持ち得ないのである。
 この事実は、死なされた人々の問題ではない。生きている人々にとっての問題であり、特に今日の青年たちの内的支柱にとって、重大な関係がある。
 戦争目的のために若い世代は考えることを禁ぜられた。激しい生活の諸現象は、本能的に若い精神を揺り動かすのだけれども、何を捉えて、どう考えを展開させて行ってよいのか判らない状態におかれている。ここに、日本の文化の深奥において、思想性はいまだ確立されていなかった過去の悲劇的な投影があるのである。
 あらゆる時期と場合にあらゆる変形をもって、合理的な判断を守り、沈黙することは決して思索し、批判することをやめることではない。思想は、人間が生きているということと全く切りはなせないものであるという自覚が、各人の日常生活態度に浸透しつくしていなかった。そのために、「戦没学生の手紙」一冊をさえ我がものとしてのこすことが出来なかったとともに、今日生きている幾千万の若い精神に、無思想の苦悩と、思索能力への自卑、方法の分らなさをもたらしている。字で書かれ、口に云われ、銘うたれた「思想性」でなければ、思想性でないように思う日本文化の一面にある根本的な非思想性は、考えさせ
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