へは西へ二哩ばかりあり、荒地《あれち》を越して二哩ばかり行くと、ケープルトンにはかなり大きな調馬場がある。これはバックウォータ卿の所有で、サイラス・ブラウンという男が管理している。そのほかどっちを見ても、荒地は全く人気《ひとげ》というものがなく、ただわずかに漂白《さすらい》のジプシーが二三いるくらいのものだ。これが日曜の晩に事件が起るまでの大体の状況だ。
 当夜はいつもの通り馬を運動させて、水をやった上九時に厩舎の戸を閉めて戸締りをした。そして三人の若い者のうち二人は台所で夕飯を食べに調馬師の家まで歩いて行くし、あとの一人ネッド・ハンタだけは厩舎に残って番をしていた、すると、女中のエディス・バクスタが九時ちょっとすぎに、羊のカレ料理の夕飯を運んで来てくれたが、それには飲みものは何も添えてなかった。仕事中は水以外の飲みものは飲んでならないことになっていたし、水なら厩舎にいくらでも出る栓があるからだ。非常に暗い晩だったので、それに途中は淋しい荒地だったので女中は提灯を持っていた。
 女中のエディス・バクスタは厩舎から三十ヤードばかりのところまで来ると、暗がりの中から不意に声をかけて一人の男が現われて来た。提灯の投げる丸い光の圏内まで来たのを見ると、鼠色のスコッチの服を着て羅紗のハンチングを被った紳士風の男で、ゲートルをつけて、握りの玉になってる太いステッキを持っていたという。が、エディスが特に印象づけられたのは、顔色がひどく蒼ざめて、何んとなく挙動のそわそわしてることだった。年は三十をちょっとすぎたくらいだったという。
「一体ここはどこなんですか?」
 と男は訊ねた。
「仕方がないからこの荒野で野宿をしようと決心してるところへ、お前さんの灯が見えたんでホッとしたわけですよ」
「ここはキングス・パイランド調馬場のすぐ側《わき》です」
「おお、そうだったか! それはまあ何んという仕合せなことだろう! ふむ、毎晩一人ずつ厩舎で寝るんだと見えるな。それでいまお前さんが夕飯を持って行って来たんだな。ところでお前さん、新らしい着物が一重ね拵えられるお金の儲かる話があるんだが、嫌だなんて見栄を張るお前さんじゃありますまいね?」男はチョッキのポケットから折りたたんだ白い紙を取出して、「これを今晩の中《うち》に厩番《うまやばん》に手渡してくれれば、お前さんは飛切|上等《じょうら》の晴着が
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