お手際だったと云うことさ」
私達は皆立ち上がった。犯人は息をはずませ、その両側には、頑丈な巡査が立った。往来にはもう弥次馬が集り出した。ホームズは踏み上って窓を閉め、窓掛けを下した。レストレードは二本の蝋燭をともし、また巡査は角灯の覆を取ったので、私はようやく犯人の顔をよく見ることが出来た。
その向き直った形相こそ物凄いものであった。哲学者のような額、肉慾主義者のような顎、――つまり云ってみれば、善悪いずれの方向にも、大した傑物を思わしめるものであった。眼瞼《まぶた》の皮肉に垂れ下がった、狂暴な青い目、鋭い圧倒的に突き出た鼻、威嚇するような太い線の刻まれた額、――と云うものは、何と云っても驚くべき、先天的な兇激性の具象であった。彼は私たちなどには目もくれずに、ただホームズの顔に、発矢《はっし》とつけられて、憎悪と驚異が、混り光っていた。
「悪魔め!」
犯人はぶつぶつと呟きつづけた。
「小ざかしい悪魔め!」
「はははははは、大佐、――」
ホームズは彼の乱れたカラーを直してやりながら云った。
「古い芝居の言葉にも、旅は愛人との邂逅に終る、と云う言葉があるが、実際僕は、あのライヘンバッハ瀑布の、断崖の途中の、窪地に横わっていた時に、お目に止まって、いろいろと御配慮を煩わした時は、まさかこうしてまたお目にかかる光栄を得るものとは思いませんでしたよ」
しかし大佐は依然として、憑かれた者のように、ホームズを見つめ続けた。
「狡獪極まる悪魔め! 狡獪者の悪魔め!」
大佐は結局こうした言葉の外は何も云えなかった。
「ああ諸君にまだ紹介しなかったが、この方は、セバスチャン・モラン大佐と仰るのだ」
ホームズは改まって云った。
「以前は皇帝の印度《いんど》軍に居た方で、わが東方帝国の生んだ、名誉ある最大の名射手なのです。――ね、大佐、あなたの虎嚢は、依然として天下無双でしょう。ねきっとそうでしょう?」
しかしこの猛激な老人は、依然として言葉は無く、ただ私の友人の顔を発矢《はっし》と睥みつけている。その猛き眼光、剛《こわ》い髭、――さながらに猛虎の風貌をも思わしめるものであった。
「僕の簡単なトリックで、こうした老練な猟師を瞞すことが出来たと云うのは全く不思議でならない」
ホームズは更に言葉を続けた。
「君には何も珍らしくもないことに相違ないが、君は木の下に仔山羊《こひつじ》をつなぎ、その上に銃を置かなかったかね? すなわち君の虎を育て上げる餌を求めるために、――ははははははは、この空家は私の木、――そして君は僕の虎だ。君はたぶん他の銃の持ち合せもあったであろう、――すなわちもしや数頭の虎が居た場合か、または、それは君にははなはだ応《ふさ》わしくない想定かもしれないが、撃ち損じをした場合の用意として、――」
こう云って彼は周囲を指し、
「これ等は僕の他の銃だ。ははははははは、この比喩は面白い」
モラン大佐は激怒して、咆吼しながらホームズに飛びかかって来た。しかし巡査に遮られて引き止められてしまった。その形相がまた、いかにも凄かった。
「まあ実のところ、僕は君にただ一つの意外に驚かされた」
ホームズは更に云った。
「実際僕は、まさかこの空家とこのあまりな好都合な窓とを、君自身が御出張で利用するものとは想像しなかったよ。僕の想像ではまあ、あの僕の友人のレストレード君やその一味の者が君を待ち受けている、往来から来るものと思っていた。まあこれだけが唯一の予想外で、あとはすべて思う壺だったわけさ」
しかしモラン大佐は刑事の方に向いた。
「君は僕を逮捕する正当の理由を、持っているかもしれないがあるいはまた、持っていないかもしれない」
彼もこう言葉を向けて来た。
「しかし僕は少なくとも、この人間の嘲笑を、我慢してきいていなければならないと云う理由はないと思う。僕はいずれ、法の適用を受けるのであったら、あくまで合法的にやってもらいたいものだ」
「なるほどそれは当然のことだ。ホームズさん、私達はゆくまではどうぞ、何も仰らないで下さい」
レストレードも云った。
しかもこの時はホームズは床の上から、かの強力な空気銃を取り上げて、その機械を調べていた。
「これは全く恐怖すべき独特の武器だ。音もしないでいて、驚くべき偉力を発揮するんだからね」
ホームズは感歎した。
「僕はあの独逸《ドイツ》の盲目の機械師の、フォン・ヘルダーを知っていたが、この銃は彼が、死んだ、モリアーテー教授の注文で、組み立てたものだ。僕も長年の間、この存在には深く注意していたが、しかしついぞ今日まで、これを手にする機会はなかったものだ。レストレード君、この銃とそれからこれに添えた弾丸とは、君の最善の注意に委托しますよ」
「それはもう御安心下さい。ホームズさん、――」
レス
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