かで、決して激情的な若者ではなかった。こうしたごく平凡な無難な生活をしている貴族の青年に、全く突然に、奇怪極まる死が襲いかかったと云うのであるから、全く不可思議千万であったのである。この不可解な兇行は、一八九四年三月三十日の夜の、十時から十一時二十分までの間に行われたのであった。
 ロナルド・アデイアは元来、骨牌《かるた》は好きでよくやっていたが、しかしと云っても、その賭け事のために、身の破滅を招くと云うほどのこととも思われなかった。彼はボールドウィン、キャバンディッシュ、バカテルと云う骨牌倶楽部《かるたくらぶ》の会員であったが、彼は惨殺される当日は、昼食後バカテル倶楽部で、ホイストの勝負をやっていたと云うことがわかっている。そして引き続き午後一ぱいは、このバカテル倶楽部で過したのであった。そして当日の相手としては、マーレー氏ジョン・ハーディ氏、モラン大佐で、賭け事は一貫してホイストで、勝負は実によく伯仲したと云うことも明瞭になっている。それでも結局はアデイアは五|磅《ポンド》くらいは敗《ま》けになったろうか、――しかし彼は元来相当の財産を持っていたので、こんな敗けくらいは彼にとっては何でもないことであった。大体彼はほとんど毎日のように、どこかの倶楽部で骨牌で敗けているのであったが、しかしなかなか上手なので、常に勝ち越しとなるのであった。それからまた数週間前に、彼はモラン大佐と組になって、コドフレー・ミルナー氏と、バルモーラル卿から、一開帳《ワンシッテング》に四百二十|磅《ポンド》も勝ったこともあったのであった。これだけが審理に現われた、彼の死ぬ前の情況である。
 兇行の行われた当夜は、彼はきっかり十時に倶楽部から帰宅した。母と妹は、親戚の者と一夕の交際《つきあい》のために、外出して居なかった。女中の陳述に因れば、女中は彼が、彼の日常の居室になっている、表二階の室に入る気配を聞いたのであった。そしてしかもその表二階の室は、女中は前もって火を入れ、煙《けぶ》ったので窓を開けておいたのであったと。それから十一時二十分まで、――すなわちメイノース夫人と娘が帰って来るまでは、全く何の音もしなかったのであった。アデイアの母は、「お寝《やす》み」を云おうと思って、息子の室に入ろうとすると、どうしたことか扉《ドア》には鍵がかかっており、それから驚いて激しくノックしたり、叫んだりし
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