口を頼んでみたんですが、しかしそこにいる連中の運命もまた、私の経験した運命と同じような位置におかれている奴ばかりなんです。そんなわけで、私は長い間、全く失業状態におちてしまいました。私はコクソンの店にいる時は、一週に三ポンドもらっていましたので、それを貯金して七十|磅《ポンド》持っていました。私はそのお金のあるうちに、何か仕事をさがし出さなくてはならないのです。けれどほどなくそのお金もなくなってしまいました。そして求人広告に応募して手紙を出したくてもその切手もまた切手を貼る封筒もなくなってしまったんです。私は歩き廻りました。靴の底がすり切れるまでほうぼうの事務所の階段を上ったり下ったりしました。私はもう前のような職にありつくことは出来ないかと思いました。
ところがとうとう見つけたんです。ロンバルト街の大きな株式仲買店で、モーソン・ウィリアム商会と云う所に欠員を。そりア、そんなロンドンの中央東部郵便区なんて云う場所は、あなたの趣味には合わないでしょうけれど、しかしその商会はロンドンでも最も金持ちのほうなんです。――それは前に、広告を見て手紙を出しといたんですけど、たったそこ一軒だけから返事が来たんです。そこで私は証明書と願書とを送りました。でもその職業に有りつけようなどとは考えてもいなかったんです。――ところが返事が来て、次の月曜日に間違いなく時間までに来てくれれば、その日からすぐに私に仕事につかしてくれると云って来ました。――どうしてそんな風にして、思いがけなく仕事にありつけたものか、誰にも分かりません。ある人は、たぶんそこの支配人が、山と積まれている願書の中へ手を突っ込んで、最初に手に触れたものを引っ張り出したんだろうと申しています。が、とにかく私の所へ順番があたったんです。私はこんなに嬉しかったことはありません。――給料も一週に一|磅《ポンド》のぼりましたし、それでいて仕事はコクソンの店とちょうど同じようなことなんです。
さあ、いよいよ話の本題にやって来ました。――私はハムステッド町に間借をしてたんです。ポーター・テラス十七番地です。――ちょうど、私の勤めがきまった日の夕方、私は煙草を吸いながら腰かけておりました。するとそこへ下宿のおかみさんが、『アーサー・ピナー会計代理店』と印刷してある名刺を持って昇って来ました。私はそんな名前を耳にしたことがなかったので、その男が何の用でやって来たのか想像が出来ませんでした。けれど無論私は、おかみさんに中へ通すように云いました。その男は這入って来ました。――中肉中脊で、髪の毛の濃い、目の黒い、そして黒い髭を生やして、鼻のそばに何か光る筋を持った男でした。彼は時間の尊さを知ってる男であるかのように、はきはきした男で、はっきりどんどん思うことをしゃべるのでした。
「ホール・ピイクロフトさん、――でいらっしゃいましたね」
と彼は云いました。
「ええ、そうです」
私はそう答えて、彼のほうに椅子を押しやりました。
「最近までコクソン・ウッドハウスの店にいらっしゃいましたか?」
「ええ、おりました」
「で、ただいまは、モウソンの所に?」
「そうです」
「ああそうですか」
と彼は申しました。
「実はあなたの会計的才能につきまして、実に素晴らしいお噂をうかがいましたもので、あなたはコクソンの支配人だったパーカーを御存じですか?――彼が別にあなたのことを云ったと云うわけじゃありませんけど……」
無論私はこの話をきいて喜びました。私は事務所では実際いつも如才なくキビキビと働いてはいましたけれど、しかし世間でこんな風に私の噂をしていようとは夢にも思っていませんでした。
「あなたは大変記憶がおよろしいんですって?」
と彼が云いました。
「少しばかり」
と、私は慎み深く答えました。
「職にお離れになってた間も、株のことに関心をお持ちでしたか?」
彼はききました。
「ええ、毎朝、株式取引の高低表は見ております」
「そうだ、それが本当の適不適を示してくれる」
と、彼は叫びました。
「これが一番いい方法だ。――あなたを試験するようなことをしても気にしないで、私にやらせて下さい、ね。――アイルシャイアーの株はどのくらいですか?」
「百五|磅《ポンド》から百五|磅《ポンド》四分ノ一まで」
「では、ニュウジーランド国庫公債は?」
「百四|磅《ポンド》」
「ブリティッシ・ブローラン・ヒルは?」
「七|磅《ポンド》から七|磅《ポンド》六まで」
「素適だ!」
と、彼は両手を振り上げて叫びました。
「私がきいたのと、すっかりみんな合ってる。ねえ、ねえ、あなた。――あなたはモーソンの店の事務員になるなんて勿体なさすぎますよ」
この叫びはむしろ私を驚かしたんです。あなたもそうお思いになるでしょう。
「いや、どう
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