間ばかり経った。そしてグラント・マンローは沈黙を破った。その彼が返事をした瞬間は、私が考え起すことのすきな時である。――彼はその可愛《かあい》い子供を抱き上げると、接吻《せっぷん》した。そしてそれから、静かに子供を抱いたまま、他《た》の片方の手を彼の妻のほうにさし出しながら、戸口のほうへ向き返った。
「私たちは、うちへいってもっともっと気持ちよく話し合おう」
 と彼は云った。
「私はあまりいい人間じゃなかった、ねえエフィ。けれど私は、お前が信じていてくれたよりは、もう少しいい人間だと思っているよ………」
 ホームズと私とは彼等について、例の細い路《みち》を下《くだ》っていった。私の友達はそこまで来ると、私の袖を引っぱった。そして
「ねえ君、もう僕たちはノーブリーにいるよりもロンドンに帰ったほうがよさそうだね」
 と云った。
 こうしてその日は、夜更けて、蝋燭を灯しながら寝台に行くまで、ホームズはもう再びものを云わなかった。
「ワトソン君」
 と、彼は寝室にいってからこう云った。
「これからもし私が、余り自分の力に頼りすぎていると、君が気づいた時は、そしてまた、事件を余り考えないで扱おうとしているような様子が目についたら、どうか遠慮なく、私の耳へ「ノーブリー」とささやいてくれたまえ。そうすれば、僕は君に永久に恩をきるよ……」



底本:「世界探偵小説全集 第三卷 シヤーロツク・ホームズの記憶」平凡社
   1930(昭和5)年2月5日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「貴方→あなた 或いは→あるいは 如何なる→いかなる 於て→おいて 彼→か 位→くらい 呉れ→くれ 此→こ 此処→ここ 而→しか 然し→しかし 直き→じき 知れない→しれない 随分→ずいぶん 其→そ 度く→たく 沢山→たくさん 只→ただ 多分→たぶん 給え→たまえ 爲→ため 頂戴→ちょうだい 丁度→ちょうど ちゃあ居→ちゃあい て戴→ていただ て置→てお て見→てみ 所→ところ 尚→なお 乍ら→ながら 程→ほど 殆ど→ほとんど 亦・又→また 間もなく→まもなく 見る見る→みるみる 寧ろ→むしろ 勿論→もちろん 貰→もら 漸く→ようやく 余程→よほど」
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※底本中、混在している「途方」と「途法」はそのままにしました。また「アトランタ」「エトラント」「アトラント」は「アトランタ」に統一しました。
※底本は総ルビですが、一部を省きました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(加藤祐介)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年5月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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