あたりの人より頭だけが突き出ていた。私は、私達の誰もが、彼の肩まであろうとは思えなかった。彼は慥《たし》かに六|呎《フィート》半より短かいことはなさそうだった。たくさんの悲しそうな、弱々しい顔の間に、そんな精力と決心に満ちた顔を見て不思議な気がした。私にはそれが吹雪の夜に、灯《ひ》を見出した時の様に思われた。私は彼が私の隣に来ていると云うことを、見つけた時、うれしかった。そうして更にうれしかったことは、真夜中に私の耳近くにささやきの声をきき、そうして私達の間を隔ててあった板に穴を彼があけたことを見つけたときであった。
「おい、君。君はなんと云うんだい? どうしてここへ来たんだい?」
と、彼は云った。
私は彼に話した。そうして反対に彼が誰であるかを聞いた。
「おれは、ジャック・プレンダーガストだ」
と彼は云った。
「たぶん、君は前におれの名前をきいていただろう」
私は彼の事件をきいてしっていた。何故《なにゆえ》なら、私が収監される少し前に、その事件は国内に大きなセンセイションを起こしたものだった。彼は財産のある、よい家庭に人となった男であった。しかも放埒な性質のため、巧《たくみ》な詐欺手段で有名なロンドンの商人から、莫大なお金を取ったのだった。
「よしよし。君は俺の事件をしっているな?」
彼は自慢そうに云った。
「ええよく知っていますよ」
「じゃア、君はその事件で何か不思議なことのあったのを、覚えているだろう」
「さあ、何でしたっけね?」
「俺は二十五万両ばかり取ったんだ」
「そんな話でしたね」
「しかしちっとも、取戻されなかったんだぜ。え?」
「知りませんでした」
「そうだろう。君はそれはどこにあると思う」
と、彼は云った。
「わかりませんね」
と私は答えた。
「ちゃんと俺れの手の中にあるのさ」
と彼は叫けんだ。
「俺は、君が君の頭の上に持っているものよりも、もっとたくさんのお金を持っていて、それの使い方と、撒き方とを知っているなら、君はどんなことでも出来るよ。とすれば、どんなことでも出来る人間が、支那の海岸を廻って歩く、こわれかかった、古ぼけた、ねずみや船虫の棲家になっているこの厭な臭いのする船の中に、とじ込められて辛棒《しんぼう》しているなんてことが、考えられるかい。――無論考えられないさ。そう云う人間は自分自身のことも、考えるだろうし、それから自分の友だちのことも考える。君はそう云うことの出来る人間だろう。君は彼の運命を握っているんだ。そうして彼は、君をここから引っぱり出すと云うことを、神様に誓っているんだ」
これが彼の話し振りだった。始めのうち私は、それを無意味なものだと思っていた。がしかし、しばらくたって彼が私をためしてみ、そうして出来るだけ厳粛に私に誓ったとき、私はこの船の支配権を得ようとしている企《くわだて》のあることを知らされた。十二人の罪人達は彼等が船に乗り込む前に、ひそかにそれを企ていたのであった。プレンダーガストはその発起人であった。そして彼のお金が、それを引き起こした原動力なのだった。
「俺は一人の仲間を持っているんだ」
と彼は云った。
「その男は珍らしい真面目な男で、充分まいてあるゼンマイのように正確な男なんだ。その男が謀《はかりごと》をめぐらしているんだが、君はこの瞬間、その男がどこにいると思うかね?――その男と云うのは、外《ほか》でもない、この船の牧師さ。――牧師、その人なんだよ。奴は黒い僧服をまとって、堂々とこの船に乗りこんだ。奴はポケットの中に、この船の大帆柱から竜骨まで、すべて何から何まで買い占められるだけの充分なお金を持ってるんだ。それから水夫達はみんな奴の五体や精神なんだ。奴は水夫達を、成功謝礼附きの莫大な現金で買収しちまったのさ。それからまた二人の番兵も、二等運転手のマーサーも手なずけられてる仲間なんだ。だから奴は、なりたいと思えば船長になれるんだ」
「それで私たちは何をしたらいいんですか?」
私はきいた。
「何をしようと君は思うね?」
彼は云った。
「この船に乗ってる兵隊の服を、服屋がこしらえたより、もっと真赤に染めてやろうじゃねえか」
「だが、あいつ等は武装してますよ」
私は云った。
「それなら俺たちも武装するまでさ。君。――俺たち仲間のめいめいにピストルが二挺ずつ[#「ずつ」は底本では「つず」]ちゃんと用意してあるんだ。だからよ、その上、俺たちの後だてにそれだけの仲間があって、この船を俺たちのものに出来ねえようなら、みんな尼さんの学校へでもいっちまうといいんだ。――君は今夜、君の左側の隣の奴に話してくれねえか。そして其奴《そやつ》が信用のおける奴かどうか見といてくれ」
私は云われる通りにした。私の隣のその男と云うのは、私と同じような運命で、偽書罪に問われた若い男であった。彼の名前はエヴァンスであった。がしかし後になって私と同じように変名した。そうして彼は今では南部イギリスで、金満家になっている。――無論彼は喜んでその共謀に加わった。私たちが私たち自身を救う方法はただそれ一つだったのだから。こうして私たちは海峡を越えないうちに、ほとんど全部は結束してしまって、ただ二人だけその陰謀に加わらないものがあっただけだった。そのうちの一人は意志の弱い男で、到底私たちがその男を信用することが出来なかったのだし、もう一人の男は黄疸を病んでいて、私たちの役に立たなかったのであった。
かくして最初から、その船の乗っとり策は、何一つ支障を来たすことはなかった。水夫たちは、その仕事のために特別に選抜されて来たような無頼漢の一群《ひとむれ》である。そして偽牧師は、武器を一ぱいつめてあるらしい黒い袋を持っては、私たちをはげましにやって来た。それは三日目には、もう私たちの全部が、寝台の下に、ヤスリ一挺と、ピストル二挺と、火薬一ポンドと、十二発の弾丸とをかくすことが出来たほど、ちょくちょくやって来てくれた。それからまた二人の番兵はプレンダーガストの支配人で、二等運転手は彼の片腕になって働いている人間なのだった。だから私達の敵は、船長と二人の運転手と二人の番兵と、マルチン中尉とその十八人の部下の兵士とそれから医者と、それだけで全部であった。しかしそれでもなお、まだ安全を期するため、予備行為を怠りなくして、そして夜中に不意に襲うつもりでいた。けれども、私たちが予定していたより早く、その時は、こんな風にして実現されてしまった。
それは私たちが出発してからちょうど三週間目のある夜のことであったが、病気になった一人の囚人を診察に来た医者が、その囚人の寝台の中に手を入れて、ふとピストルの形に手をふれたのであった。でももし彼がだまっていたなら、おそらくすべての事を被《おお》ってしまうことが出来たに相違なかった。けれど彼は神経質なおっちょこちょいだったもので、キャッと云うと真蒼になってしまったので、すぐ何事が起ったかを感づいて、その医者を捕えてしまったのだ。そうして彼が大声をあげないさきに猿轡《さるぐつわ》をはめて、寝台の下にしばりつけてしまった。医者はデッキへ通じるドアを鍵をかけないでおいたので、私たちはそこを通って躍り出した。たちまち二人の歩哨兵は射殺された。それは何事が起きたのだろうと、調べるために走り寄って来たのだった。事務室の戸の外に、兵士が二人いた。しかし彼等の鉄砲は装弾してなかったと見えて、発砲しなかった。そして彼等は銃剣をつけようとしている間に、うち殺されてしまった。こうして私たちは船長室に突進した。が、ちょうど私たちがその室《へや》のドアを引きあけた時、中から爆音がきこえて来た。そうして彼はその中で、テエブルの上にピンで留められてあった大西洋の地図の上にのめってい、その側《かたわ》らには煙の出ているピストルを持った教師が立っていた。また、二人の番兵は水夫たちに捕えられ、かくしてすべての仕事は仕末がついたように見えた。
広間はケビンのつぎにつづいていた。私たちはそこに集《あつま》って、長椅子に身をなげて、再び自由な身になったことを喜んで、気狂《きちが》いのように喜び合った。その部屋の周囲には戸棚がついていた。偽牧師のウィルソンは、そこからシェリー酒を引張り出して来た。私たちはその瓶の首をたたき落して、水呑コップに注いだ。そしてそれを呑もうとした瞬間、何の予告もなしに、私たちの耳に銃の響が聞え、客間はその煙で一ぱいになってテーブルを越して向うが見えなくなった。が、その煙がすっかりぬぐわれると、そこは恐ろしい修羅の巷《ちまた》と化していた。ウィルソンとその他の八人のものも、床の上をのた打っていた。そして血とテーブルの上にひっくりかえったシェリー酒との流れは、今でも私はその時の光景を考えると気持ちが悪くなるような様子で流れていた。
私たちは、それがもしプレンダーガストのためでなかったら、たぶん、もうその仕事をほうり出していたに違いないと思うほど、その光景を見ておどかされてしまった。しかしプレンダーガストは牛のように咆《ほ》えると、生き残ったものを従えて、戸口のほうに突進した。そして外に出ると、船尾のほうに中尉とそして十人のその部下がいた。彼等は私たちに発砲しようとしていたが、私たちはその前に彼等に跳《おど》りかかった。無論彼等もそれに抵抗したが、しかし私たちのほうが優勢であった。そうしてすべては五分間で終ってしまった。――おお、神よ、その船の如き人殺しの家が、未だかつてこの世にあったであろうか? プレンダーガストはまるで怒れる悪魔のようであった。彼は兵士たちをあたかも子供のようにつまみ上げると、生きていようと死んでいようとおかまいなしに、海の中へなげ込んだ。その中に一人、ひどく傷ついた下士官がいたが、彼は驚くほど長い間泳いでいた。が、誰かがその頭をうちぬいてしまった。こうして戦いは終って、今では私たちの敵は、番兵と助手と医者とをのぞいてはただの一人も、その船の中にはいなくなった。
と、そのとき大喧嘩が持ち上った。と云うのは、私たちの大部分は、私たちの自由を取り戻すことの出来るのを喜んではいたが、しかし人殺ろしをすることを望んではいなかった。ところが私たちは、一つ兵士たちを、彼等の持っている鉄砲でなぐりつけ、もう一つは、その部下たちを惨酷《ざんこく》にも殺ろす間、その側に立っていなければならないのだった。そのため私たち八人のものは、――犯罪人が五人と水夫が三人と、これだけはどうしてもそれは出来ないと云った。しかしそれは少しもプレンダーガストとそしてその仲間を動かすことは出来なかった。私たちの自由を獲得するただ一つの方法は、どこまでもこの計画をやり通して、跡に禍いの残らないようにすることだ、と彼は云った。そして彼は、後になって、証人などのために苦労することがないように、みんな銃殺してしまうつもりらしかった。が、彼は遂に云った。もし私たちが望みなら、ボートに乗って、その船から立ってくれてもいいと。私たちはこの申出を喜んだ。なぜなら私たちはもうこの血に飢えたような行為にあきあきしていたから。そして更に私たちは、血醒《ちなまぐさ》い行為がくり返えされないではいないことが分かっていたから。――そこで私たちは、お互いに水夫の服を一着と、水の瓶を一つと、樽を二つ、一つは牛肉の樽で一つはビスケット、――それからコンパスとそれだけをもらった。プレンダーガストは私たちに海図を投げてくれながら、自分たちは難船した水夫で、その船は北緯十五度、西経二十五度の所で沈んだと云えと云った。そうして私たちは綱を切って出発したのであった。
私の可愛い子供よ、いよいよ私の話の一番の山へ這入って来た。――こうして、私たちがその船を去った時、その船の水夫たちは帆を張り直した。そうしてその時、軽い風が北東から吹いていたので、その船は私たちから次第に遠去《とおざ》かっていった。私たちのボートはそれから、長い滑らかなローラーの上を昇ったりおりたりしながらただよった。私とエヴァンスとは、その仲間のうちでは一番教養があったので、
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