められた奴の中で、性分を持った奴がやるだけのもんだ。
 監獄に放り込まれる。この事自体からして、余り褒めた気持のいい話じゃない。そこへ持って来て、子供二人と老母と嬶《かかあ》とこれだけの人間が、私を、この私を一本の杖にして縋《すが》ってるんです。
 手負い猪です。
 医者が手当をしてくれると、私は面接所に行った。わざと、下駄を叩きへ打っけるんだ。共犯は喜ぶ。私も嬉しい。
 ――しっかりやろうぜ。
 ――痛快だね。
 なんて言って眼と顔を見合せます。相手は眼より外のところは見えません。眼も一つだけです。
 命がけの時に、痛快だなんてのは、まったく沙汰の限りです。常識を外れちゃいけない。ところが、
 ――理屈はそれでもいいかしれないが、監獄じゃ理屈は通らないぜ。オイ、――なんです。
 監獄で考えるほど、もちろん、世の中は、いいものでもないし、また娑婆《しゃば》へ出て考えるほど、もちろん、監獄は「楽に食えていいところ」でもない。一口に言えば、社会という監獄の中の、刑務所という小さい監獄です。

     二

 私は面接室へ行った。
 ブリキ屋の山田君と、嬶と、子供とが来ていた。
 ――地震の時、事務所の看守長は、皆庭へ飛び出して避難したよ。
 ブリキ屋君が報告した。
 ――はたして。と私は言った。
 つまり、私たちが、いくら暴れても怒鳴っても、文句を言いに来なかったはずだ。誰も獄舎には居なかったんだ。
 あれで獄舎が壊れる。何百人かの被告は、ペシャンコになる。食糧がそれだけ助かる。警察の手がいらなくなる。それで世の中が平和になる。安穏になる。うまいもんだ。
 チベットには、月を追っかけて、断崖から落っこって死んだ人間がある。ということを聞いた。
 日本では、囚人や社会主義者、無政府主義者を、地震に委せるんだね。地震で時の流れを押し止めるんだ。
 ジャッガーノート!
 赤ん坊の手を捻《ひね》るのは、造作もねえこった。お前は一人前の大人だ。な、おまけに高利で貸した血の出るような金で、食い肥った立派な人だ。こんな赤ん坊を引裂こうが、ひねりつぶそうが、叩き殺そうが、そんなこたあ、お前には造作なくできるこった。お前には権力ってものがあるんだ。搾取機関と補助機関があるんだ。お前たちは、ありとあらゆるものを、自分の手先に使い、それを利用することができる。たとえばだ、ほんとうは俺たちと兄弟なんだが、それに、ほんの「ポッチリ」目腐金《めくされがね》をくれてやって、お前の方の「目明し」に使うことができる。捕吏にもな、スパイにもな。
 お前は、俺達の仲間の間へ、そいつ等を※[#「虫+條」、41−13]虫が腹ん中へ入るようにして棲わせておくんだ。俺達の仲間はひどい貧乏なんだ。だから、目腐金へでも飛びつく者ができるんだ。不所存者がな。
 お前は、俺達を、一様に搾取するだけで倦《あ》き足りないで、そういう風にして、個々の俺達の仲間までも堕落させるんだ。
 フン! 捩《ねじ》れ。 押しひしゃげ。やるがいいや。捩れるときは捩れるもんだ。そうそういつまでも、機会というものがお前を待っては居ないだろうぜ。お前が、この地上のあらゆる赤ん坊を、ことごとく吸い尽してしまおうという決心は、まったく見事なもんだ。
 だが、お前はその赤ん坊を殺し尽さない前に、いいかい。誰がどうしないでも、独りでにお前の頭には白髪が殖えて来るんだ。腰が曲って来るんだ。眼が霞み始めるんだ。皺だらけの、血にまみれた手で、そこでやかましく、泣き立てている赤ん坊の首筋を掴もうとしても、その手さえ動かなくなるんだ。お前が殺し切れなかった赤ん坊は、ますますお前の廻りで殖えて行くだろう。ますます騒がしく泣き立てるだろう。ハッハッハッハハ。
 赤ん坊がまるっきり大きくならないとしても、お前は年をとるんだよ。ヘッヘッ。
 お前は背中に止った虱《しらみ》が取りたいだろう。そいつを、赤ん坊を引き裂いたように、最後の思い出として捻りつぶしたいだろう。そいつもむつかしくなるんだ。悶え始めるだろう。
 お前は、肥っていて、元気で、兇暴で、断乎として殺戮をほしいままにしていた時の快さを思い出すだろう。それに今はどうだ。
 虱はおろかお前の大小便さえも自由にならないんだ。血を飲みすぎたんで中風になったんだ。お前が踏みつけてるものは、無数の赤ん坊の代りとお前自身の汚物だ。そこは無数の赤ん坊の放り込まれた、お前の今まで楽しんでいた墓場の、腐屍の臭よりも、もっと臭く、もっと湿っぽく、もっと陰気だろうよ。
 だが、まだお前は若い。まだお前は六十までには十年ある。いいかい。まだお前は生れてから五十にしかならないんだ。ただ、お前のその骨に内攻した梅毒がそれ以上進行しないってことになれば、まだまだ大丈夫だ。
 お前の手、腕、はますます鍛われて来た。お前の足は素晴らしいもんだ。お前の逞しい胸、牛でさえ引き裂く、その広い肩、その外観によって、内部にあるお前自身の病毒は完全に蔽いかくされている。
 お前が夜更けて、独りその内身の病毒、骨がらみの梅毒について、治療法を考え、膏薬を張り、神々を祈願し、嘆いていることは、まだ極めて少数の赤ん坊より外知らないんだ。
 だから、今、お前はその実際の力も、虚勢も、傭兵をも動員して、殺戮本能を満足さすんだ。それはお前にとってはいいことなんだ。お前にとって、それはこの上もなく美しいことなんだ。お前の道徳だ。だからお前にとってはそうであるより外に仕方のない運命なんだ。
 犬は犬の道徳を守る。気に入ったようにやっていく。お前もやってのけろ!
 お前はその立派な、見かけの体躯をもって、その大きな轢殺車《れきさつしゃ》を曵いていく!
 未成年者や児童は安価な搾取材料だ!
 お前の轢殺車の道に横わるもの一切、農村は蹂《ふみにじ》られ、都市は破壊され、山野は裸にむしられ、あらゆる赤ん坊はその下敷きとなって、血を噴き出す。肉は飛び散る。お前はそれ等の血と肉とを、バケット・コンベヤーで、運び上げ、啜《すす》り啖《くら》い、轢殺車は地響き立てながら地上を席捲する。
 かくて、地上には無限に肥った一人の成人と、蒼空まで聳える轢殺車一台とが残るのか。
 そうだろうか!
 そうだとするとお前は困る。もう啖《くら》うべき赤ん坊がなくなったじゃないか。
 だが、その前に、お前は年をとる。太り過ぎた轢殺車がお前の手に合わなくなる。お前が作った車、お前に奉仕した車が、終に、車までがおまえの意のままにはならなくなってしまうんだ。
 だが、今は一切がお前のものだ。お前はまだ若い。英国を歩いていた時、ロシアを歩いていた時分は大分疲れていたように見えたが、海を渡って来てからは見違えたようだ。「ここ」には赤ん坊が無数にいる。安価な搾取材料は群れている。
 サア! 巨人よ!
 轢殺車を曵いて通れ! ここでは一切がお前を歓迎しているんだ。喜べこの上もない音楽の諧調――飢に泣く赤ん坊の声、砕ける肉の響き、流れる血潮のどよめき。
 この上もない絵画の色――山の屍、川の血、砕けたる骨の浜辺。
 彫塑の妙――生への執着の数万の、デッド、マスク!
 宏壮なビルディングは空に向って声高らかに勝利を唄う。地下室の赤ん坊の墳墓は、窓から青白い呪を吐く。
 サア! 行け! 一切を蹂躙《じゅうりん》して!
 ブルジョアジーの巨人!
 私は、面会の帰りに、叩きの廊下に坐り込んだ。
 ――典獄に会わせろ。
 誰が何と言っても私は動かなかった。
 ――宇都の宮じゃないが、吊天井の下に誰か潜り込む奴があるかい。お前たちは逃げたんじゃないか。死刑の宣告受けてない以上、どうしても俺は入らない。
 私は頑張った。

[#地付き](大正十三年〈一九二四〉十月「文芸戦線」第一巻五号)



底本:「葉山嘉樹 短編小説選集」郷土出版社
   1997(平成9)年4月15日初版発行
底本の親本:「葉山嘉樹全集 第一巻」筑摩書房
   1975(昭和50)年
初出:「文芸戦線 第一巻五号」
   1924(大正13)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:A子
校正:林 幸雄
2009年3月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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