て通るのであった。
 彼女は、瀬戸内海を傍若無人に通り抜けた。――尤も、コーターマスター達は、神経衰弱になるほど骨を折った。ギアー(舵器)を廻してから三十分もして方向が利いて来ると云うのだから、瀬戸中で打《ぶ》つからなかったのは、奇蹟だと云ってもよかった。――
 彼女は三池港で、船艙一杯に石炭を積んだ。行く先はマニラだった。
 船長、機関長、を初めとして、水夫長《ボースン》、火夫長《ナンバン》、から、便所掃除人《ドバス》、|石炭運び《コロッパス》、に至るまで、彼女はその最後の活動を試みるためには、外の船と同様にそれ等の役者を、必要とするのであった。
 金持の淫乱な婆さんが、特に勝れて強壮な若い男を必要とするように、第三金時丸も、特に勝れて強い、労働者を必要とした。
 そして、そのどちらも、それを獲ることが能きた。
 だが、第三金時丸なり、又は淫乱婆としては、それは必要欠くべからざる事では、あっただろうが、何だってそれに雇われねばならないんだろう。
 いくら資本主義の統治下にあって、鰹節のような役目を勤める、プロレタリアであったにしても、職業を選択する権利丈けは与えられているじゃないか。
 待って呉れ! お前は、「それゃ表面《うわつら》のこった、そんなもんじゃないや、坊ちゃん奴」と云おうとしている。分った。
 職業を選択している間に「機会」は去ってしまうんだ。「選択」してる内に、外の仲間が、それにありつくんだ。そして選択してる内には自分で自分の胃の腑を洗濯してしまうことになるんだ。お前の云う通りだ。
 私が予め読者諸氏に、ことわって置く必要があると云うのは、これから、第三金時丸の、乗組員たちが、たといどんな風になって行くにしても、「第一、そんな船に乗りさえしなければよかったんじゃないか、お天陽《てんと》様と、米の飯はどこにでもついて、まわるじゃないか」と云われるのが、怖しいためなんだ。
 船の高さよりも、水の深さの方が、深い場合には、船のどこかに穴さえ開けば、いつでも沈むことが能きる。軍艦の場合などでは、それをどうして沈めるか、どうして穴を開けるかを、絶えず研究していることは、誰だって知ってることだ。
 軍艦とは浮ぶために造られたのか、沈むために造られたのか! 兵隊と云うものは、殺すためにあるものか、殺されるためにあるものか! それは、一つの国家と、その向う側の国家と
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