破岩が激流の河面にバラバラッと飛び込んだ。
 大きい破片は抱き上げられない位のものもあり、小さいのは安全剃刀の刃位のものまでも、水面に射込んだ。
「良かつた」
 と、私は、岩陰から川舟の行衛を隙間見しながら、ホッとしたことがあつた。

 その日も、午前九時頃まで冴えたタガネの音がしてゐたが、それが止むと、暫くして、太田が上の方からA川に沿つて降りて来た。
 手に導火線をブラ下げて、その下に大ダイが一つくつついてゐた。丁度、アケビの実を蔓ごとぶら下げたやうに見えた。
「大丈夫かい。穴はどつちを向いてるかい。さうかい、ふん、大ダイ一本ぢや詰め過ぎやしないかい、うん、大丈夫だね。頼むよ、この辺は危いからね、人通りがあるんだし、家が近いからね」
 と、私は、太田がうるさがる程、念を押した。
 太田がA川の合流点附近から、
「つけたぞ」
 と怒鳴つた。私は、橋の袂にゐて、現場の導火線から煙が上るのを見て、ベルを振り、ハッパだ、ハッパだあ、と怒鳴りながら、上流の方へ駆け、人が来ないのを見届け、又、下流の方へ駆けた。
 丁度現場の直ぐ側へ、栗や胡桃を拾ひに行つて、藪影でゴソゴソやつてゐた、太田の幼い弟たちや従弟たちも、火をつける前に見付けて、上の方の道路へ追ひ上げてあつた。
 その子供たちを、百姓家の現場とは反対側の軒下に立たせて置いて、私はそれを監視しながらベルを振つてゐた。
 パーンと云ふ風な、浅い音が現場で起つた。と同時に、パラパラッと破片が飛んで来た。その時、私の立つてゐる道に、私の直ぐ後ろ横に、下流の方から一人の子供が駆けて来た。
「危いッ」
 と、幼い足音に、私は叫んだ。
 見ると、その児の鼻の上に、破片が当つたと見えて、血が流れてゐる。
 私と並んで立つてゐた太田は、その子供が自分の従弟だと見ると、抱きかかへて、
「馬鹿が、ハッパの処へ来るんぢやないと云つてあるのに」
 と云ひながら、尻を引ッぱたいた。
「とにかく医者に早く連れて行かなけや駄目だ。見ろよ、大ダイ一本も入れるから、俺が危いつて云つたぢやないか」
 だが、怪我をした以上は何もかも後の祭であつた。
 麗らかな珍らしい秋の一日を、それまで楽しんでゐた私も、同様な気持であつただらう太田も、一度に深い憂鬱と気づかひに捕はれて、医者のゐる上流へ急いだ。
「おぢさん、何でもないよ。俺歩いて行くよ。見つともないよ」
 と云ふのであらう、未だ海峡を渡つて、内地へ来て一年にもならない、その六つになる子は太田に云つた。
 太田は幼い従弟を道に下した。
 そこで、私たちは始めて子供の傷口をよく見たのだつた。
 傷口は眉の間の所謂急所であつた。少し右の方に寄つてゐるかと思はれた。見たところ大した傷ではなく、血も、もう止つてゐた。
 子供も、もう尻を引つぱたかれないでいいのだと云ふことが分つたのと、傷も大して痛くないと見えて、ニコニコしながら、可愛いい朝鮮の言葉で、太田に何か話しかけてゐた。
 その子は全く可愛いい顔をしてゐた。殊にその下ぶくれの頬と、澄み切つた瞳とが、可愛いい上に聡明な印象を与へてゐた。
 私は言葉は分らなかつたが、その子や、その子の友達たちと遊んだものだつた。さう云ふ時、両親について来てもう長くなる子だの、内地に来てから生れた子だのが通訳してくれるのだつた。それによると、その万福と云ふ子は、見たところ以上に聡明であつた。
 私は「朝鮮人」と云ふ言葉を使はないやうにしてゐた。無論「鮮人」とは云はなかつた。が、悲しいことには、工事場には、さう云ふ言葉が、言葉そのものは仕方がないとしても、軽蔑や侮蔑の意味を含めて使はれることがあつた。私が、若い頃マドロスとして、印度あたりまで行つた時、欧米人などに、どことなく差別的に見られたりして「こいつはいけない」と思つてから、私はヨーロッパ人だから優越してゐるとも思はない代りに、インド人でもアフリカ人でも、支那人でも、朝鮮人でも、私よりも劣つてゐるなどとは思はなくなつてゐた。
 医者に行つて、手当を受けた結果、
「傷は幸に、極く軽くて、一週間もすれば全癒するだらう」
 と云ふことであつた。太田も私も心からホッとして、帰りには、その子供に菓子を買つてやり、冗談を云つてカラカつたりしたのだつた。
 その後帳場で太田に会ふ毎に、私は万福の傷の経過を聞いた。太田も忙しいので、毎日見舞つてはゐないが、「悪くなつた」と云ふ話を聞かないから、きつと、「良くなつてゐるのだらう」と云ふことだつた。
 一週間目に、私は万福の住んでゐる飯場を訪問した。
 そこは、私たちの借りてゐる農家から上流四五丁の、川原の砂つ原に建つてゐた。発電所と電車との二つの工事の労働者が集まつてゐて、この峡谷の底に五千人から七千人位の労働者と、その家族がゐたので、一つのバラック街を形
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