。体が寒く凍えて来た。私はカジカンだ手で竿を畳み、子供たちの方へ堤の上を歩いて行つた。
 兄妹は五尺にも足らぬ胡桃の木の下に、二尺角位に乾し草の屋根を葺いて、その下に雫で背中を濡らしながら、木の幹を抱き、向き合つて跼んでゐた。
「竿はどこへやつた?」
 と、私が訊くと、
「ほら、そこにあるよ」
 と、上の子が出て来た。
「ああ、分つた、分つた」
 私は子供の竿を抜きにかかつたが、元の方の二本が固くて抜けなかつた。
「これは抜けないや、濡らしたから緊つちやつた。お前担いでおいでよ」
「うん」
「ほら、こんなに釣れたよ」
 魚籠を解いて腰から外し、子等に持たせた。魚の形が割合に大きかつたので、数の割合ひに目方は重かつた。
 暗い闇の中で、魚の腹が白く光つてゐた。
「サア帰らう。寒かつたかい」
 私は「腹が空つたらう」と云ひかけて口をつぐんだ。
「ちつとも濡れなかつたよ。お父さん兄さんが小屋を拵らへてくれたから。ねえ、兄さん」
「いつ小屋を葺くことなんか覚えたんだい、お前は?」
「戦争ごつこの時にやるからね、もつと大きなのを葺くんだよ。炭俵なんかでね」
「さうかい。サア帰らう」
 私たちは暗くなつた河の堤防を、下流に向つた。
 男の子は先頭に立つた。女の児は私の後ろになつた。
 コンクリートの橋があつて、そこで県道に出て、そこから私たちの家まで、約一里あつた。橋の袂に小屋があつた。橋を作る時に拵らへたセメント置場か何かのバラックである。
 そこで上の子は、私たちを待つてゐた。
 私は下の子の来るのを、上の子とそこで黙つて待つてゐた。
 どう云ふものか、ふだんお喋舌りの子等がその夜は黙り込んでゐた。
 無邪気な、詰らない疑問が飛び出して、私を煩さがらさなかつた。
 ――父ちゃんは考へるがいい。――
 とでも、子等は思つてゐたのだらうか。
 三人、一緒になつたので、
「お前たちはお父さんの先きにお歩き」
 さう云つて、私たちは県道を歩き始めた。
 県道は、電話線の埋設工事で掘り起されてあつた。いつも坦々たる道路なのに、その日は掘り起した泥と雨との為にぬかつてゐた。
 その悪路を子等は驚く程、足早に歩いた。
 暗闇の中で、私は子供たちの姿を見失つてしまつた。が、長い間、さうだ三十分位の間も、私は子等の先きに立つた姿を「見失つた」と云ふことに気がつかなかつた。
 長い間、帰り途の半分位の道程を、私は何を考へてゐたのだらう、と、子供の姿の見えないことに気のついた途端に、考へたが、その時には、もう私は、先きに歩いてゐる、見えない子供たちに声をかけてゐた。
「おうい! 余んまり速いぞう、お父さんは附いて歩けないぞ」
 道は林の坂道にかかつてゐた。
 両側の林の樹々には、葉のある樹々が多かつたので、雨が、そこまで来ると急にひどくなりでもしたやうに、音を立てた。
 その音にせき立てられて、子等の歩みも一層速くなつたんだらう。
 が、私はノロくさく歩いた。子供たちに追ひつかうと試みたが、駄目な事が分つた。
 私の体にも、私の心にも、私の歩みを速めるだけの力が残つてゐなかつた。速めると云ふだけで無く、一口に言つて終へば生命力が残つてゐなかつた、と云つてもよかつた。
 嫌悪感、それが私の全体をひつ括んでゐた。それは自分の外に向つても、自分の内に向つても、粘り強い根を延ばしてゐた。
 今までも、嫌悪感と云ふものは幾度か、殆んど数へ切れない位に私の首を締めつけた。が、今度程、それが長く、その上小憩みなしに続いたことはなかつた。
 肉体の上の極度の疲労と、精神上の異常な打撃とが同時に起ると、「腰を抜かす」と云ふ現象が起ることがある。この状態が私を掴んでゐた。腰を抜かしながらも、私は子供たちを両手で捧げて、死の濁流へ呑まれないやうにしてゐたのである。
 戦場で多くの死傷者が出た。それを新聞紙上で見てゐるうちに、私は、私の死をも考へるやうになつた。身に引きくらべて考へるのである。それが私の習慣になつた。死のあらゆる場合を考へ続けることが習慣になると、私の生活は生命へよりも、死の方へ近づいて行つた。
 生命への嫌悪感!
 いや、この言葉は嘘だ! が、何かしら、生きて行くのに大骨を折ると云ふことに、熱意を欠いたとでも云ふのであらうか。これは私にとつては生れて最初の現象である。
 自殺を思つたことも幾度かあつた。それを企てたと自分で思ひ込んだこともあつた。
 が、これ程、怖れなく、と云ふよりも生への執着を抛棄して、死の方へ引つ張られるやうにズルズルと考へ込んで、あらゆる生への努力を、六ヶ月間も打つ棄つてしまつたことは初めてであつた。

    三

 子供たちは、余程急いで歩いたと見えた。
 私の呶鳴つた声にも返答がなかつた。
 私は感じてゐた。
「子供たちは俺の考へを感
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