トキは全く困ったことをさせるわい。見習いのけがとおれと、一体何の、……そりゃ関係はあるにしても、船長が一度いかんと言ったものをナア……おれは、第一寒くてやり切れないや」
ボースンは、ストキの顔をせっぱ詰まって拝むようにながめ、そしてまた、船長にあわてて敬礼をした。
船長は黙って行きすぎようとして、タラップの方へ歩みかけた。
ストキはボースンを小っぴどくつついた。ボースンは目だけをパチパチさせて、口は固くつぐんでいた。それは一秒おそくてもいけなかった。続いて第二発目のストキの拳固《げんこ》がボースンの横っ腹へ飛んで来た。と同時に、
「船長」と太い、低い、重々しい声がおさえつけるように、ストキの口から呼ばれた。
そしてストキは、ボースンを打っちゃらかしたまま、船長が今おりてゆこうとするその前へつっ立った。
「船長! 水夫見習いの安井|昇《のぼる》ってのが負傷したのは知ってますか、それが、今日《きょう》は病院へやってもらいたいといってるんです」
「それがどうしたんだ」と船長は頭のさきから、足の爪先《つまさき》まで、ストキの長さを目で測量した。
「上陸禁止にでもなっているのか、そうでなかったら、今日でも明日《あす》でも病院へ行けるじゃないか、だが何だって、お前はそんなところに立ちふさがってるんだい」船長は、暴化《しけ》の時に、夜中、深海測定をやるのと同様に、厳密に、幾度も幾度もストキの長さを、全く腹が立って頭の熱くなるほどの、熱心さと冷静さとで測定した。
藤原はそのあらゆる激怒と、憤懣《ふんまん》とを、船長の前で、そのしっかり踏んだ足の下に踏みつけて立っていた。
「だが、負傷手当を船から出すべきじゃありませんか。それに、足を負傷して寝ているものが、この雪の中を歩いて行くというわけにも行きませんからね。俥《くるま》賃と、診察料とを払ってくださいまし。それに、……」
船長は、爆発した。
「負傷手当を船から『出すべき』だ? べきだとは何だ! べきだとは! そんな生意気な横柄《おうへい》なことをいうんだったら、どうとも勝手にしろ、おれは、手前《てめえ》らに相手になってる暇はないんだ! ばかな!」
船長は怒鳴りつけると、そのまま、桟橋へとおりて行った。
藤原は自分の足の下に踏んでいたかんしゃく玉を、そうと、やっぱりおさえつづけた。彼はアハハハハハと、船長の後ろ姿に向かって哄笑《こうしょう》を浴びせかけた。
船長は桟橋の上へ飛び上がった。ポケットで金が鳴った。彼は、ひどく怒《おこ》りはしたが、先を急いでいた。
「明日《あす》、片をつけてやるから」と自分をなだめながら、桟橋の闇《やみ》へと消えて行った。
彼は、しばらくすると、ほとんど全速力で駆け足に移った。何だか、メスが、自分の心臓に向かって光りそうで気になってならないのであった。このごろはどうも、おかしい。三上――藤原――、どうもよくない傾向だ。彼は、後ろを振り向いた、狐《きつね》のように幾度も幾度も振り向いた、桟橋は黒く、まっ暗であった。本船の碇泊燈《ていはくとう》が、後ろに寒そうに悲しくまたたいていた。
やがて桟橋が尽きて、海岸に出た。雪は二尺余り積もっていた。海岸に小溝《こみぞ》のように深く雪道が踏み固められてあった。
室蘭の町は廃墟《はいきょ》のように、雪の灰の中からところどころのぞいていた。人魂《ひとだま》のように街《まち》の灯が、港の水に映っていた。のろいの声を揚げて風が波をつき刺した。彼は外套《がいとう》の襟《えり》を立て、首巻きを耳まで巻いてフルスピードで停車場の方へと急いだ。
停車場は室蘭の町をズッと深く入り込んで、馬蹄形《ばていがた》の一端に寄った方にあった。さびしい、終点駅であった。停車場は海岸の低地にあって、その上の方には、遊郭の灯が特に明るく光っていた。
冷酷な、荒涼たる自然であった。その前では人は互いにくっつき合い、互いが、互いに温《あたた》め合い、たすけ合わねばならないように感ぜしめられるのであった。
何だか、人なつっこくなるのであった。
船長はストキや船員を反撥《はんぱつ》して、登別へ引きつけられた。そこでは彼は自然の冷酷さからしばらく逃《のが》れうるのだ!
ストキはわめくような笑いを船長に浴びせると、そのままグルリと振りかえって、おもての方へ帰って行った。ボースンは、すごすごとついて行った。
おもてでは大工は、ボースンが来るのを、したくをすっかり済まして待っており、水夫たちは藤原の帰るのを待ちくたびれていた。
藤原は、おもてへはいった。食卓の前のベンチへ倒れるように腰をおろした。
「どうだったい」と皆はきいた。
「だめだ! 今度はチーフメーツだ」と彼は答えた。もし彼は、彼がボーイ長が診察を受け、治療を受ける
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