いのであった。そこへ持って来て室蘭では、この種の荷役になれた仲仕がいなかった。その巨大な鉤が上からブラ下がって来て、下から何でもひっかかりさえすれば、引き上げようとしているのに、仲仕はただまごまごするだけであった。
 水夫たちも荷役に手伝った。が、何にしても足場は、ボイラーの円《まる》いペンキ塗りの上である。すべることこの上もないところへ、それを縛るワイアロープは、腕の太さほどであるのであった。まごつくとワイアに、はね飛ばされねばならぬ破目《はめ》になるのであった。おまけに鉤は一人で動かない、[#「動かない、」は筑摩版では「、」なし]やつであった。従って作業がはなはだしく困難であった。
 ところが、船長が、このボイラー揚陸に当てた時間は、きわめて短いのであった。それはチーフメーツも心得ていた。チーフだって正月は横浜でしたかったことはいうまでもないことだ。従って、これも、ボイラーを急いでいた。かくのごとく二重にボイラーは急がれていたが、仲仕は人数が少ない上に、横浜の仲仕ほどなれていなかった。なかなか仕事ははかどらなかった。チーフメーツはハッチに片足を載せて、
 「そのワイアを引っぱるんだ! ちがう! そっちからこっちへだ! ボースン、そのワイアをあれへかけて引っぱるんだ、そら、シャックルがはずれた! だめだ! ボースン! ばか! 違う! そらホックをかけて、ヒーボイ、チェッ、またはずれた。スライク、スライク!」彼はまっ赤《か》になってせり売りの商人のように怒鳴りまくった。
 彼のこの焦燥にもかかわらず、ボイラーはクレインからホックに、すこしも引っかかろうとしなかった。チーフメーツは、自分の声で、ホックをワイアに引っかけようとでもするように、だんだんその声を大きく張り上げた。そして、鉤の大きいのは、ボースンや水夫たちの責任ででもあるように、ボースンや水夫たちを口ぎたなくののしり始めた。
 紳士の番頭はその地金《じがね》を現わした。
 「大工、なぜすみへ行く、そのワイヤを抜くんだ! ボースン、何だ、まいまいつぶろ見たいに、グルグル回ってやがって、グルグル回ったって、ボイラーは上がりゃしないぞ、どこへ行くんだ、そら、ばか!」まるでボースンがばかであることをはやし立てているのであった。
 ボースンが、上から見るとただ、ボイラーのまわりをグルグル回るだけのように見えると同様に、チーフメーツはボースンの周囲をグルグル回りながら、ボースンがばかであることを、ハッキリ飲み込ませてしまったよりほかには、何もしなかった。
 ボースンはあわててしまった。どこから手を出していいか、わからなくなってしまったのだ。
 藤原はボイラーの上に上がって、鉤《かぎ》が当然引っかかるような状態になって来るのを待っていた。そして彼は、普段から、あまりに意気地《いくじ》のない、ボースンや大工が、チーフメーツに「くそみそ」にののしられているのに対して、なおさら腹を立てた。
 「ほんとに貴様らはばかだ! 奴隷《どれい》でもそれほど卑屈じゃないぞ! 水夫らからは月二割も搾《しぼ》りやがって、豚め! チーフメーツの野郎、なにかおれにいって見ろ! 思い知らしてやるから、高利貸の丁稚《でっち》め!」
 彼は、それこそ、抜けかけたボールトのように、ボイラーの上へ突っ立っていた。
 ホックはうまく彼と、向かい合って立ってる波田との間へおりた。波田は腕ほどの太さの、ワイアの鉤穴を持ち上げた。それは一秒間とは持ち続けることのできない重さであった。藤原は、ホックを、彼のからだの重みをもたせて、波田の持っている鉤穴の方へ揺るがした。それはちょうどそこへ行ったが、少しおり足らなかった。
 だめだった! はまらなかった。
 「何だ、ボケナス、どうしてはめないんだ! ばか! よせッ!」チーフメーツは頭から、ストキへ罵声《ばせい》を吐きかけた。
 「波田君、降りたまえ! チーフメーツがよせという命令だ」そのまま藤原は、ボイラーからワイアを伝って飛びおりた。波田も続いた。
 「どうした、ストキ、どこへ行くんだ! 畜生!」チーフメーツはまるで狂っていた。
 藤原は下へ降りて、西沢をデッキから見えないところへ呼んだ。
 「君、仕事があれでやれるかい、ばかとか、よせとか、怒鳴り散らされて? え? よそうじゃないか、おれたちあ、船を桟橋まで着けないで下船しちゃおう、ばかばかしいや! 奴隷じゃねえや」藤原はジロリとボースンをにらんだ。
 「よせ! よせ! 全く、こんなボロ船いつだっておりるぜ」西沢も賛成した。
 「ストライクか、それや、ぜひやらにゃならないこった」波田も賛成であった。
 チーフメーツはデッキの上で、餅《もち》をのどにつめでもしたように、あわててしまった。
 ボースンは下で癪《しゃく》を起こしそうに
前へ 次へ
全87ページ中47ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
葉山 嘉樹 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング