だ。おまけに、あいつの腕の五本ぶり、おれの腕はある、あいつを五人さげることが、おれは平気だ! だのに……」
獲物《えもの》のまわりにわざと遊びたわむれて、なかなか飛びつこうとせぬ狼《おおかみ》のように三上は、その考えのまわりをウロウロしていた。
小倉は同じような考えを別な方から嗅《か》いでいた。飢餓がある。疾病がある。不具がある。負傷がある。そしてそれらのすべてが死へ行く道になっている。彼はこの道をブルジョアによって、他の無数の労働者と一緒に追われている。それを追って来るのは少数だ。追われているのはそれらの幾千倍も幾万倍もあるのに、その多くの労働者の群れには、牙《きば》をむいて自分のあとを振り向こうとする、たった一人の仲間さえもないのだ。労働者は、塩にあったなめくじだ。それはわけなく溶けてしまうんだ。ただ一人の労働者、それが十人に一人、十万人に一人もないのだ。それで、それでこそ、人間は、大量生産的に**されうるのだ。人間は自分のためには死ねないんだ。人間は、命令を好むものだ。命令の下にはすべての人間が死にうるが、自分からは一人の人間も、よく自分を殺し得ないものだ。一人の人間が、生きていたために、何十万の死んだ例がなかっただろうか。全世界の歴史が、このありがたからぬ、あるいはありがたいところの人間性の弱点によって、血で染め上げられ、肉で書かれたのではなかろうか。奴隷《どれい》の歴史を読んで、その主人の暴虐に憤る前に、人は、その奴隷の無知と、無活気なるを慨《なげ》かないだろうか。われら、賃銀労働者も、奴隷のように、農奴のように、われらの子孫をして拳《こぶし》を握らしめないであろうか。それは、人間の力をもっては、意思の力をもってしては、いかんともなし難いところのものであるか。
おれが、人類の歴史を見て泣くように、おれはまた泣かねばならぬ歴史を、書き足しつつあるんだ。おれは、そういう汚《よご》れた歴史に邪魔者としてはいることは、今までできたのだ。また今でもできるのだ。だが、それができないところに人類の歴史が汚されるような大きな結果が持ち上がるのだ。だが、血と肉とで積み上げられた歴史は、その生贄《いけにえ》がはなはだしかっただけ、それだけ美しい花が咲くんだ。歴史が行く道をおれはついて行き、その歴史の櫓《ろ》を押せばいいのだ。
「おい! 伝馬《てんま》はどんどん流れっち
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