トンの重さと大きさとの、怪獣のうなりにも似た轟音《ごうおん》と共に錨《いかり》は投げられた。船はその動揺を止めた。
 一時に一切が静かになった。一切の興奮と緊張とが、一時に沈静した。
 「一切は明日《あす》なんだ。明日は幸福と解放の一切なんだ」とだれもが安心したのだ。
 水夫らは、船首上甲板に立っていたが、錨が投げられると共に、その各《おのおの》の巣へ飛び込み始めた。先頭の波田がタラップをおり切らぬうちに、ボースンは怒鳴った。
 「オーイ、これからサンパンをおろすんだぞ」
 あたかも強い電波にでも打たれたように水夫たちはこの言葉に打たれた。
 岩見《いわみ》武勇伝に出て来る鎮守《ちんじゅ》の神――その正体は狒々《ひひ》である――の生贄《いけにえ》として、白羽《しらは》の矢を立てられはせぬかと、戦々|兢々《きょうきょう》たる娘、及び娘を持てる親たちのような恐れと、哀れとを、水夫たちは一様に感じた。これは、夜横浜に着いたが最後必ず起こる現象であった。そしてまた、船長はいやでもおうでも夜横浜へつくように命令するのであった。朝着きそうな予定のときだけが、その通りに入港した。その他は必ず夜着くように犬吠《いぬぼう》沖か、勝浦沖かで彼女は散歩を強制せられるのであった。
 古今共に狒々《ひひ》が、出るためには、夜を選ぶのであった。そして、悲しむべきことは、わが万寿丸に岩見重太郎が乗り合わせていないことであった。十一時、サンパンは、その非常に危険な怒濤《どとう》の中におろされなければならなかった。二人《ふたり》の漕《こ》ぎ手が、水夫の中からつかみ出されなければならなかった。
 この漕ぎ手に白羽の矢が立ったのは、鰹船《かつおぶね》で鍛え上げた三上と、舵取《かじと》りの小倉とであった。三上は低能であった。小倉はおとなしかった。白羽の矢は、岩見武勇伝の場合と違って、大抵この二人に、恒例として当たるのであった。
 二人の漕ぎ手は、一里余の暗黒の海上を、サンパン止《ど》め――暴風雨にて港内通船危険につき港務課より一切の小舟通行を禁止する――の暴化《しけ》を冒して、船長を日本波止場まで、「秘密」に送りつけねばならぬのであった。
 船長は、「秘密」で、上陸して、その家庭へ帰るのであった。そして、その翌朝、「秘密」に、ランチで本船へ帰って、それから、「公然」入港するという手順になっていたのである。
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