セキメーツは徹夜の決心を、自分のために撤回した。彼も今はぬれた麩であった。
 水夫がその南京虫《なんきんむし》の待ちくたびれている巣へもぐり込んだのは、午前一時前十五分であった。そこには眠りが眠った。

     九

 一切を夢の中に抱擁して、夜はふけた。夜、そのものは、それでいいのであるが、おもての船室は、一八六〇年代の英国におけるレース仕上げの家内労働者が、各|一人《ひとり》に対して六十七ないし百立方フィートしか空気を与えられていなかった――マルクス――のとくらべて、もっとはなはだしかった。われわれは、夜の明け方まで、死のような眠りにつく、そしてその死のような眠りからさめて、「罐詰《かんづめ》の蓋《ふた》」をあけて、外気を室内に吹き入れしめるときに「ああ、目がさめた」と思う代わりに「よくおれは蘇生《そせい》したものだ」と思うのであった。
 われわれはしけの場合は、ことにオゾーンが多いにもかかわらず、ほとんど窒息死の瀬戸ぎわまで眠る。そのために、われわれのからだじゅうは、一晩じゅうに鈍く重くなっている。そして、睡眠が与える元気回復ということは思いもよらないことであった。
 われわれは、水夫室なる罐詰の、扉《とびら》なる蓋《ふた》をあけて、初めて、人心地《ひとごこち》がつくのであった。――これは、本文と関係のないことであるが、この時乗り組んでいた人間のうち、藤原、波田、小倉、西沢、大工《だいく》、安井は皆肺結核患者であった――そして、この空気混濁は、そのことに起因して、肺疾患者を海上において生産する矛盾をあえてした。
 罐詰の内部に、生きたものがいるという結果は、どんなものであるかは、明らかにだれにでも想像のつくことであった。ただそれは、その蓋《ふた》をあけた時に、蓋の外の清浄さによって、非常に救われた。
 彼らが五時間眠っている間に、海は凪《な》いだ。アルプスのように骨ばっていた海面は、山梨《やまなし》高原のようにうねっていた。マストに、引っかかり打《ぶ》っつかった雲は、今は高く上の方へのぼって行った。
 発作の静まったあとのように、彼女はおとなしく、静かに進んだ。
 室蘭出帆の日は日曜であって、作業、それも並み並みならぬ難作業だったので、今日《きょう》の月曜は日曜繰り延べで休みにするように、「とも」へ頼みに行くことにしようではないかと「ならずもの」どもは、歯
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