に感じられた。彼は飯を口一杯に頬《ほお》ばりながら、ボーイ長の足もとに波田と並んで、これを頬ばっている藤原に話しかけた。
「チーフメートは来たかい」
「まだだよ」藤原は、まるでそれが波田のせいでありでもするかのように、ふくれっ面《つら》をもって、答えた。
「随分無責任じゃないか[#「ないか」は筑摩版では「ないかい」]。三時間も打っちゃらかしとくなんて」
「距離が遠いんだよ。距離が、やつらのはね」藤原はなぞのようにいった。
「ハハハハ、なるほどね、サロンから、おもてまでじゃ三時間じゃ来られねえや」波田は、冗談だと思って笑った。
「五感と、神経中枢との距離がさ。鼻と口との距離と同じほどなんだよ」
ストキはひどく憤慨しているように見えた。「それに、こういうことになれて、無神経になるってことは、それが仲間のことであると、なおさらよくないね」
藤原は、話がむずかしいので、有名であった。彼は漢語みたいなもの――仲間の間でそういった――を使いたがる癖が骨にしみ込んでいるのであった。
まだ食事が、始められて間もなく、チーフメートは、ボーイに「救急箱」を持たせて[#「持たせて」は底本では「持せたて」と誤記]、「大急ぎ」で駆け込んで来た。
水夫たちは食事を中止した。そして、水夫見習いのベッドを、チーフメートと一緒にとり巻いた。
「ボースン! こんなに暗くちゃ何もわからんじゃないか、蝋燭《ろうそく》をつけて来い。五、六本!」と、チーフメートは一発放した。
かくて、蝋燭はつけられた。ボーイ長がそこへ寝始めてから、三時間目に初めて、彼の室は燈《ともしび》で照らされた。彼が船へ持って来たものは、そのからだと、その切り捨てられた仕事着と、初期の禿頭病《とくとうびょう》とだけであった。
彼は、陸上でひどく苦しんだ。彼の家はひどく貧乏の上に、兄弟が十一人もあった。彼は、小さい時分から、自分を養うのは自分でなければならぬことを感じさされて来たのであった。
彼は、訴えるような目つきで、また、彼のそのような負傷にもかかわらず、チーフメートに直接物を言うことを恐れて、遠慮がちに「痛あーい」とうめいた。
チーフメートは何でもかまわず、ボーイ長の左半身全体に、イヒチオールを塗りまくった。彼は一分間でも早く彼の義務が終わればいいのであった。医者のやるようなことが、彼の義務であることも
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