イ長の負傷によって陰気にされていた。そして自分の負傷のように、いらいらさせられた。彼らは、それから逃れようとして、あせっていた。冷淡な、無関心な態度は、彼らが鈍らされた神経を持っていることと、も一つは「なれている」ことと、今一つは、その自分自身の運命を、あまりにハッキリ見せつけられることから、免れようとする心から出たことであった。
 波田は、石油|罐《かん》の二つに切ったので、便器をこしらえて、彼と、ボーイ長の寝箱とが※[#「※」は「L」を180度回転させた形、142−9]《かぎ》形をなしているすみへ置いてやった。
 安井は、だれも見えなくなると、その便器へ用を足した。その時の彼の努力は全くおびただしいものであった。彼は、用を達《た》したあとは、疲労と疼痛《とうつう》とで失心したような状態に陥るのであった。
 彼は、一切のことが、二度目であるというような幻覚にとらわれるのであった。それはちょうど、濁った方解石を透《とお》して物を見るように、一切がボンヤリして二重に見えるのであった。彼は、ズッと遠い以前からの歴史も、また、たった今何か考えた刹那的《せつなてき》な考えも、二度目であるように思った。その一度は、どこで経験し、どこで考えたかということを、彼は考えさかのぼるのであった。そうして、そこには、彼の以前の生活があった。ひもじい、寒い小作人の子としての絶え間なき窮乏の生活が、それも二重の形をもって展開されるのであった。小学校時代の暑中休暇のことが、彼の今の負傷して寝ている状態と、ゴッチャになってしまったりするのだった。「ちょうどおれは二度目だ」と彼はぼんやりけがのことを考えているのであった。「おれはあの時、ほかのだれもが休んでいるのにおれだけは、父《ちゃ》んと二人《ふたり》で田の草をとりに出かけたっけ。休まねばならぬ時に、おれは、煮えたぎる田の水の中で草とりをしたっけ。おれは休む時を持って生まれなかった。だが、あの時おれはけがをしたっけ。そして休んだっけ」それから、彼の哀れな、疲れ切った意識は、彼を暑中休暇の田の草とりから、彼を厳寒の万寿丸へ引き戻してしまった。そして彼はまたうめきもだえ狂わねばならなかった。
 彼はその疼痛の絶頂においては、感ずるのであった。
 「こんな苦痛をハッキリ味わわねばならないってのは、何て惨酷なことだろう。それよりも、もっとひどい苦痛を、も
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