まま階段を降《くだ》って街へ出た。門の所で今出て来た所を振りかえって見た。階段はそこからは見えなかった。そこには、監獄の高い煉瓦塀《れんがべい》のような感じのする、倉庫が背を向けてる丈《だ》けであった。そんな所へ人の出入りがあろうなどと云うことは考えられない程、寂れ果て、頽廃《たいはい》し切って、見ただけで、人は黴《かび》の臭を感じさせられる位だつた。
 私は通りへ出ると、口笛を吹きながら、傍目《わきめ》も振らずに歩き出した。
 私はボーレンへ向いて歩きながら、一人で青くなったり赤くなったりした。

     五

 私はボーレンで金を借りた。そして又外人相手のバーで――外人より入れない淫売屋で――又飲んだ。
 夜の十二時過ぎ、私は公園を横切って歩いていた。アークライトが緑の茂みを打《ぶ》ち抜いて、複雑な模様を地上に織っていた。ビールの汗で、私は湿ったオブラートに包まれたようにベトベトしていた。
 私はとりとめもないことを旋風器のように考え飛ばしていた。
 ――俺は飢えてるんじゃないか。そして興奮したじゃないか、だが俺は打克《うちか》った。フン、立派なもんだ。民平、だが、俺は危くキャピタリスト見たよな考え方をしようとしていたよ。俺が何も此女をこんな風にした訳じゃないんだ。だからとな。だが俺は強かったんだ。だが弱かったんだ。ヘン、どっちだっていいや。兎《と》に角《かく》俺は成功しないぜ。鼻の先にブラ下った餌《えさ》を食わないようじゃな。俺は紳士じゃないじゃないか。紳士だってやるのに俺が遠慮するって法はねえぜ。待て、だが俺は遠慮深いので紳士になれねえのかも知れねえぜ。まあいいや。――
 私は又、例の場所へ吸いつけられた。それは同じ夜の真夜中であった。
 鉄のボートで出来た門は閉《しま》っていた。それは然し押せばすぐ開いた。私は階段を昇った。扉へ手をかけた。そして引いた。が開かなかった。畜生! 慌《あわ》てちゃった。こっちへ開いたら、俺は下の敷石へ突き落されちまうじゃないか。私は押した。少し開きかけたので力を緩めると、又元のように閉ってしまった。
「オヤッ」と私は思った。誰か張番してるんだな。
「オイ、俺だ。開けて呉れ」私は扉へ口をつけて小さい声で囁いた。けれども扉は開かれなかった。今度は力一杯押して見たが、ビクともしなかった。
「畜生! かけがねを入れやがった」私は唾《つば》を吐いて、そのまま階段を下りて門を出た。
 私の足が一足門の外へ出て、一足が内側に残っている時に私の肩を叩いたものがあった。私は飛び上った。
「ビックリしなくてもいいよ。俺だよ。どうだったい。面白かったかい。楽しめたかい」そこには蛞蝓《なめくじ》が立っていた。
「あの女がお前のために、ああなったんだったら、手前等は半死になるんだったんだ」
 私は熱くなってこう答えた。
「じゃあ何かい。あの女が誰のためにあんな目にあったのか知りたいのかい。知りたきゃ教えてやってもいいよ。そりゃ金持ちと云う奴さ。分ったかい」
 蛞蝓《なめくじ》はそう云って憐《あわ》れむような眼で私を見た。
「どうだい。も一度行かないか」
「今行ったが開かなかったのさ」
「そうだろう、俺が閂《かんぬき》を下《おろ》したからな」
「お前が! そしてお前はどこから出て来たんだ」
 私は驚いた。あの室には出入口は外には無い筈《はず》だった。
「驚くことはないさ。お前の下りた階段をお前の一つ後から一足ずつ降りて来たまでの話さ」
 此|蛞蝓野郎《なめくじやろう》、又何か計画してやがるわい。と私は考えた。幽霊じゃあるまいし、私の一足後ろを、いくらそうっと下りたところで、音のしない訳がないからだ。
 私はもう一度彼女を訪問する「必要」はなかった。私は一円だけ未《ま》だ残して持っていたが、その一円で再び彼女を「買う」と云うことは、私には出来ないことであった。だが、私は「たった五分間」彼女の見舞に行くのはいいだろうと考えた。何故《なぜ》だかも一度私は彼女に会い度《た》かった。
 私は階段を昇った。蛞蝓《なめくじ》は附いて来た。
 私は扉を押した。なるほど今度は訳なく開いた。一足|室《へや》の中に踏《ふ》み込むと、同時に、悪臭と、暑い重たい空気とが以前通りに立ちこめていた。
 どう云う訳だか分らないが、今度は此部屋の様子が全《まる》で変ってるであろうと、私は一人で固く決め込んでいたのだが、私の感じは当っていなかった。
 何もかも元の通りだった。ビール箱の蔭には女が寝ていたし、その外には私と、蛞蝓《なめくじ》と二人っ切りであった。
「さっきのお前の相棒はどこへ行ったい」
「皆家へ帰ったよ」
「何だ! 皆ここに棲《す》んでるってのは嘘《うそ》なのかい」
「そうすることもあるだろう」
「それじゃ、あの女とお前たちはどんな関
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