屋さんですか。
私は私の恋人が、劇場の廊下になったり、大きな邸宅の塀《へい》になったりするのを見るに忍びません。ですけれどそれをどうして私に止めることができましょう! あなたが、若し労働者だったら、此セメントを、そんな処に使わないで下さい。
いいえ、ようございます、どんな処にでも使って下さい。私の恋人は、どんな処に埋められても、その処々によってきっといい事をします。構いませんわ、あの人は気象《きしょう》の確《しっ》かりした人ですから、きっとそれ相当な働きをしますわ。
あの人は優《やさ》しい、いい人でしたわ。そして確かりした男らしい人でしたわ。未《ま》だ若うございました。二十六になった許《ばか》りでした。あの人はどんなに私を可愛がって呉れたか知れませんでした。それだのに、私はあの人に経帷布《きょうかたびら》を着せる代りに、セメント袋を着せているのですわ! あの人は棺《かん》に入らないで回転窯《かいてんがま》の中へ入ってしまいましたわ。
私はどうして、あの人を送って行きましょう。あの人は西へも東へも、遠くにも近くにも葬《ほうむ》られているのですもの。
あなたが、若《も》し労働者だったら、私にお返事下さいね。その代り、私の恋人の着ていた仕事着の裂《きれ》を、あなたに上げます。この手紙を包んであるのがそうなのですよ。この裂には石の粉と、あの人の汗とが浸《し》み込んでいるのですよ。あの人が、この裂の仕事着で、どんなに固く私を抱いて呉れたことでしょう。
お願いですからね。此セメントを使った月日と、それから委《くわ》しい所書と、どんな場所へ使ったかと、それにあなたのお名前も、御迷惑でなかったら、是非々々お知らせ下さいね。あなたも御用心なさいませ。さようなら。
松戸与三は、湧《わ》きかえるような、子供たちの騒ぎを身の廻りに覚えた。
彼は手紙の終りにある住所と名前を見ながら、茶碗に注いであった酒をぐっと一息に呻《あお》った。
「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打《ぶ》ち壊して見てえなあ」と怒鳴った。
「へべれけになって暴《あば》れられて堪《たま》るもんですか、子供たちをどうします」
細君がそう云った。
彼は、細君の大きな腹の中に七人目の子供を見た。
[#地から1字上げ](大正十五年一月)
底本:「全集・現代文学の発見・第一巻 最初の衝撃」学芸書林
1968(昭和43)年9月10日第1刷発行
入力:山根鋭二
校正:かとうかおり
1998年10月3日公開
2006年2月1日修正
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