りになった。雲を掴むような捜査に二人は根気づかれがして、とう/\泉原の方から、
「最《も》う諦めよう。」といい出した。ギルもそれに同意して丁度通りかゝった海浜旅館を最後とする事にした。如才ない支配人は特別親切に自ら分厚な宿帳を繰って、共々調べてくれた。
「そのような名前のお方はおられませんな。第一昨夜は新規のお客で、若い御婦人などはお宿《とま》りになりませんでしたよ。」支配人の言葉をきゝながら、泉原は何気なく帳場の壁に懸《かか》っている姿見に視線をやった時、鏡の中に緑色のドレスを纏《まと》った女の姿がチラと映った。彼はハッとして四辺《あたり》を見廻すと、ホールの正面にあたった突《つき》あたりの階段を緑色のドレスを着た女が上ってゆくのを認めた。女は既に最後の段を上りきったところで、帳場の方に向って軽く支配人の挨拶に応えながら、階段の上に姿を没して了った。帳場に立っていた三人は期せずして言葉もなく女の姿を見送っていた。
「あれは誰です。遠くで確かには分らないが、あれは私の捜しているグヰンのようです。」泉原が最初に口をきった。
 支配人は途方もないといったように、
「冗談《じょうだん》じゃアない。あの方はA嬢と仰有《おっしゃ》る私共の大切なお客様ですよ。お父様の病気見舞にいらしって、今日で既《も》う一週間も御滞在になっているのですよ。」と笑いながらいったが、フト声を落して、
「ところがお気の毒にも、お父様の容態は昨晩から急に不良《わる》くなって、今朝方とう/\お逝去《なくな》りになったのです。」といった。そして彼は宿帳を拡げて泉原の鼻先へ突出して見せた。そこには二十日程前の日附で、Aという人物の住所、姓名、が記されてある。泉原は自分の眼を疑うように、更めて宿帳を見直した。幾度見てもそれは彼が昨夕不在を訪問したA老人と同じ姓名で、而《しか》も番地さえ街の住宅と同一であった。
「A老人がお逝去《なくな》りになったのですって?」泉原は胸を躍らせながら早口に訊《たず》ねた。
「そうです。最初はそれ程お不良《わる》いとも見えなかったですが、もと/\心臓はおよわかったようです。昨夜は倫敦《ロンドン》から奥様と甥御さんがおいでになって、附切りでご看護をなすっておられたです。」と支配人はいった。
「それは気の毒ですな。旅先でお逝去りになったのでは、お嬢さんは嘸《さぞ》お困りでしょう。」ギ
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